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エッセイ・コラム

フランスから来た男

野瀬 隆平

 津田沼で電車に乗り込んだ。空席がないかと見回すと、三人掛けの優先席の真ん中の席が一つ空いていた。若い男と外国人が両端に座っている。少し窮屈だがその間に腰を下ろした。
 右隣の外国人は、大きな旅行鞄を二つ、足で抱え込んでいる。成田空港から乗ったのであろう。外の景色を不安げに眺めている。市川を出たあたりで、こちらに顔を向け、「Tokyo?」と声をかけてくる。この電車が間違いなく東京に行くことを確かめたかったのだ。うなずくと、ホットした様子で座りなおす。何か話しかけようかと思ったが、面倒なので沈黙を保っていた。

 次の駅で乗ってきた客の一人が、優先席の前に立った。明らかに身体に不自由を抱えている。隣の若い男は、気が付いているのかいないのか、席を譲ろうとしない。自分が立つしかないかと思っていたら、件の外国人が席を譲った。そこで、やっと男は気付いたのか、さすがに自分が立って外国人に席を譲った。

 そんなことがあって、外国人に英語なら通じるだろうと話しかけた。
「どこから来たのですか」
「フランスからです」
「東京には何日くらい滞在するのですか」
「一週間ほどいます」
「その後どこかへ」
「いや、東京だけです」

 どうも観光旅行ではなさそうだ。何をしに来たのかと尋ねると、パリで電気照明器具を作る会社をやっており、その製品を売り込みに来たという。雑談を続ける中で、こちらがヨーロッパで仕事をしていた経験があると知ると、日本で商売をするにはどうしたらよいか、是非アドバイスして欲しいと、真剣な顔でいう。更には、あなたのように英語が話せ経験のある人と、一緒に仕事をしたいとまでいい出す。
 あまり調査もせず、やみくもに日本に来て、たまたま電車に乗り合わせた人間に、こんなことをいうフランスの男。商売熱心なのはよいが、少々無鉄砲すぎやしないか。
「こちらも、もう年を取っているし……」と言葉をにごして、仕事のお手伝いは丁重にお断り申し上げた。

 しかし、その後も色々としつこく質問してくるので、応対するのが面倒になってきた。
 だが、はるばるヨーロッパからやってきた客人に、日本の「おもてなし」をもって応えなければならない。少なくとも電車が東京に着くまでは、出来る限り相談に乗ってやろう。
 先ずはマーケット・リサーチが必要だ。電気製品ならば、東京にうってつけの場所がある。秋葉原だ。東京を訪れる旅行者、しかも電気器具を扱っているのなら、この電気街を知らぬ筈はないと思って、尋ねてみると知らぬという。そこで、メモ用紙にAkihabaraと書いて、先ずはここに行って見なさいと勧めた。

 電車が終点の東京駅に近づいてきた。不案内な街で迷っては可哀そうなので、宿泊先を尋ねてみた。取り出した旅程表に、ホテルの名前がプリントされている。知らない名だ。多分、比較的安いホテルなのだろう。都営三田線の飯田橋の駅に近いと書いてある。
 成田空港で教えてもらったらしく、その横に「東京駅で地下鉄の三田線に乗り換える」と手で書き加えられている。飯田橋ならばJRのほうが簡単だと思ったが、そのホテルは地下鉄の駅からだと、迷わずに行けるのだろう。
 東京駅から三田線へは、地下通路を通って延々と大手町の駅まで歩かなければならない。一番近い改札口まで案内し道順を教え、自分は別の改札口へと向かうことに。別れ際に男は、「何か良いアドバイスを思いついたら是非電話して欲しい」と言いながら、自分の名刺にホテルの名前と電話番号を書き込んでこちらに渡すと、旅行鞄を二つ引っ張りながら、人混みの中へと消えて行った。

 もう少し丁寧に応対してやっても良かったのでは……。無事ホテルにたどり着いているだろうかと気にかかり、翌日ホテルに電話をしてみた。間違いなくチェックインしていることは確認できたが、不在だった。秋葉原に行ったのだろうか。

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