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エッセイ・コラム

追悼 高倉 健さん

大平 忠

 高倉健さんが亡くなってたいへん寂しい。テレビ、新聞、雑誌は追悼の番組や特集記事で溢れた。それらを他のことは放り出して追いかけた。
 テレビで健さんを偲んで放映した後期の主演映画を全部で7本見た。「南極物語」「幸福の黄色いハンカチ」「あなたへ」「あ・うん」「ホタル」「居酒屋兆治」「遥かなる山の呼び声」である。週刊誌の特集も永久保存版というのを都心の駅で買った。慌てていたので金を払ったのに肝心の週刊誌を貰うのを忘れてしまい、家の近くでまた買った。
 これらの映画に共通するのは、「南極物語」を除いて一人の女性を想い続ける男の姿である。寡黙に想いを秘めて生きる男を高倉健は演じる。その姿にぐっとくるのだ。そう、ちょっと首を傾げて立つあのうしろ姿にである。そこに『葉隠』にいう「恋の至極は忍恋と見立申候」を観客は感じ取るのであろう。
 愛読した山本周五郎、藤沢周平、最近では葉室麟のいくつかの作品の主人公を演じてぴたりだと思う。例えば山本の『樅の木は残った』の原田甲斐、藤沢の『三屋清左衛門残日録』の清左衛門、葉室の『銀漢の賦』の広瀬淡窓などである。
 高倉健は「人を想うこと」を大切にしてきたという。エピソードにはこと欠かない。別れた後早世した江利チエミの命日に墓参りをしていたという寺のお坊さんの話。81才の最後になった撮影現場でも、スタッフを気遣って座ることが無かったという話などである。『文芸春秋』に載せられていた最期の手記を読むと、「生きるのに必死だから」あるいは「出逢った方々からの想いに応えようとひたすらもがき続けてきた」と記されている。
 高倉健の引き締まった口元と姿勢の良さは、誠実さと責任感の強さを表しているようだ。あの眼光は男の覚悟を物語っているのだろうか。
「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし」
 終生師事した阿闍梨さんがくれた言葉だという。 人間として見事な生き方を貫き通した日本男児が一人姿を消した。実に寂しい。

(平成26年12月13日)

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