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エッセイ・コラム

陸地の端っこが好き

志村 良知

 日本のほぼ真ん中の山国で生まれ育ったせいか、陸地の端っこすなわち半島などの先端に憧れる。旅では、チャンスがあれば端っこを目指す。

 学生時代、当時帯広に住んでいた兄を訪ね、無理やり車を借りた。いったん襟裳岬に南下した後、北上縦断して宗谷岬(日本最北端)、オホーツク沿いの砂利道を下って納沙布岬(日本本土最東端)と回った。大型免許を取るつもりだった金と時間を使い果たした旅だった。
 入社して翌年にオイルショック。原材料が入らず、実習中の工場が操業を停止した。その休みに乗じて友人と4泊5日、内2泊は車中泊という強行軍で東北に旅した。ずっと汽車とバスに揺られていたという印象の旅であるが、大間崎(本州最北端)と恐山、それに大湊港にいた原子力船「むつ」は抑えた。
 その後、東北ドライブで行った牡鹿半島突端では、野宿するはめになった。
 犬吠崎(本州最東端)は家内の実家に近いので折々出かけ、日本で一番早い海からの初日の出も拝んだ。石廊崎も沼津勤務時代行く機会が何度かあった。
 ロス五輪の年、紀伊半島を一周した。鳥羽へのフェリー乗船前に伊良湖岬は抑えた。紀伊半島では最初に大王崎に行き、潮岬(本州最南端)では大島に泊まった。後に知り合った和歌山の人に、紀伊半島をそんなに丁寧に遊した人は和歌山県人でも多くはいないと激賞された。
 能登半島は端っこが判りにくいが、ぐるりと周って金剛岬に行ったので突端征服は果たしているであろう。
 四国は海岸線沿いに時計回りに周った。室戸岬、足摺岬(四国最南端)は通りすがりであるが、佐田岬(四国最西端)は遠かった。狭い道をうねうねと走り、たどりついた先端からは対岸の佐賀関が驚くほど近くに見えた。灯台守の宿舎は既に廃墟であった。父母にその話をすると「日本一細長い佐田岬だね」と口を揃えて言ったのに驚いた。国語の教科書に佐田岬の事が載っていたのだという。
 九州だけは先端に縁が薄い。都井岬の野生馬を見た日は鹿児島に宿を予約していた。町中が志の字で溢れかえっていて親しみを感ずる志布志から、鹿屋平和祈念館を見学したところで時間切れ、南下して佐多岬(日本本土最南端)に行くのは断念した。薩摩半島側は知覧が近い事もあり、長崎鼻突端まで行った。しかし、やはり日本の南と西の端っこには行ってみたい。

 外国では、「陸ここに終わり、水ここに始まる」という碑があるユーラシア大陸最西端ロカ岬(ポルトガル)、ヨーロッパ最北端のノール・カップ(北岬;ノルウェー)、それにフランス本土最西端のコルセン岬(ブルターニュ半島)に行った。それぞれ特徴ある旅だったので非常に印象に残っている。

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