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エッセイ・コラム

遙かなるコートジボワール

金京 法一

 サッカーのワールドカップで最初の対戦国となり、日本でも広く知られるようになった国である。サッカーがなければ、ほとんど知られることもなかったであろう。

 やや古い地図帳を広げると、西アフリカのギニア湾にそって、穀物海岸(リベリア)、象牙海岸(コートジボワール)、黄金海岸(ガーナ)、奴隷海岸(トーゴ、ペナン、ナイジェリア)との表示がある。大航海時代の輸出産品が地名になっているのであろう(奴隷が輸出産品とは恐れ入るが、いまはこれらの地名は使用されていないらしい)。現在のコートジボワールの主要輸出品はカカオであり、世界的な大産地である。アビジャンはこのあたりの最大都市であり、経済の中心地なので、日本も大使館を開設しており、いくつかの日本商社も駐在員を置いている。コートジボワールも東京に大使館を構えている。極めて親日的である。しかし経済関係はやや希薄である。

 首都アビジャン(形式上の首都はヤムスクロう)は赤道直下にあるが、フランス風の美しい街で、ヨーロッパ人のリゾートである。ホテル・イヴォワールという立派なホテルが街の中心部にある。ホテルのレストランで出す食材はすべて、水に至るまでパリから航空便で届けられる。ホテルの地下にはスケート・リンクまである。

 1960年に独立したが、ボワニー大統領のカリスマ政治で経済は発展した。そんな時農業中心のこの国に,鉄鉱山開発計画が持ち上がった。日本が50%、残りは英仏蘭米が出資する国際ジョイントベンチャーで、年間300万トンの高品位ペレットを生産し、日本とヨーロッパに輸出しようという画期的なものであった。当時高度成長経済の末期で、日本の粗鋼生産も将来年間1億5千万トンとも言われていた。原料を求めてアフリカまで進出しようというのであった。筆者も日本側担当者として、現地調査、各種打ち合わせ会、企業化調査等多忙な日々を送った。

 プロジェクトの詳細は省くが、多国籍事業の難しさを痛感させられた。文化の違いがあらゆる局面で出てくるのである。それでも作業は順調に進んでいた。しかし70年代初頭のオイルショックが事態を一変させてしまった。エネルギー価格高騰で、生産コストの見透しが激変したのである。また粗鋼生産1億5千万トン計画も夢のまた夢になってしまった。関係各国の利害調整という難問もあったが、何とかそれらを乗り切り、計画は無期延期となった。鉱山開発でカカオという単作農業からの脱皮を図ったコートジボワールの落胆はいかばかりであったろうか。

 あれから45年、計画が再開したとの話は聞かない。しかも2000年代に入ってコートジボワールは2度の内戦を経験している。カリスマ大統領の死後政治が急速に流動化するという、発展途上国特有の現象である。

 ワールドカップで急接近した日本とコートジボワール。だが試合が終われば再び元の疎遠な間柄に戻ってしまった。コートジボワールは地球の反対側にある遙かなる国なのであろう。

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