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エッセイ・コラム

隠し物、あるいは男のロマン

濱田 優(ゆたか)

 数年前、相棒と南イタリアを旅したとき、三人組の女性と顔見知りになった。
 入社同期の仲良しだそうで、話の節々から推察するに年は還暦少し前らしい。
 男の二人連れは珍しいのか、「ご関係は?」と聞かれた。「僕たちも会社仲間です」と私が答えると、「別に怪しい関係ではありません。腐れ縁です」と、気をまわし過ぎる先輩が余計な補足をする。彼女たちは声を立てて笑い、それから打ち解けて旅の後半はしばしば行動をともにした。
 彼女たちと何を喋ったか忘れたけれど、一つ記憶に残ったことがある。海外旅行に出るたびにヘソクリの隠し場所に苦労するというのだ。普段長い間家を空けることのない主婦は、空巣より亭主に見つかることを心配している。不安になるとせっかくの絶景スポットもおちおち観ていられないというから勿体ない。中には預金通帳を肌身離さず持って旅をする人もいるそうだ。

 現役の男は日頃ほとんど家にいないから、奥さんの目を盗んで隠し物をするのは至難の業だ。それでも女に理解されない男のロマンのために涙ぐましい努力をする。
 営業のベテラン、Eさんはオーディオマニアだった。彼は自宅の一室をオーディオルームに改造し、お気に入りのコンポーネントを買い揃える本格派。ある日招かれて自慢の装置の音を聴きに行った。確かにわが家の安物のセットとは迫力がまるで違う。しかし彼はまだ満足していないという。
 それから半年ほどして、新しいスピーカーを買って格段に音がよくなったから、また聴きに来い、と誘われた。音はともかく、めったに飲めない舶来のウイスキーに釣られて出掛けた。ところが、装置は前と同じで変っていない。聞くと、スピーカーボックスはそのままでスピーカーユニットを付け替えた、と種明かしをする。その訳を聞いて先輩に悪いけれど、私は大笑いした。
 出物のスピーカーを見つけた彼が「今度のボーナスで買い替えたい」と申し立てたところ、「いい加減になさい」と奥さんにひどく叱られ、即却下されたという。
「そりゃ、そうだよな。半年前に買ったばかりだもの」
 彼はそういって自嘲気味に笑う。
 しかしそれでも諦められないのがマニア。彼はヘソクリでそのスピーカー買い、奥さんに内緒で前の箱に取り付けたそうだ。家で隠れてそんな偽装工作をしている彼の姿は、会社で見るやり手の営業マンからは想像できない。
 さて、肝心の音は? 正直私には違いは分らない。が、「やはり前よりバランスがいいですね」とよいしょした。「そうだろう」と彼は得意満面だった。

 S社長は内外の名著を買い集めていた。
 若いころ読むべき教養本を戦中・戦後で時代が悪くて読めなかった。社会人になってからも復興・成長期で仕事に追われ、不本意ながら思うように読書の時間が持てない。リタイアしたら存分に好きな本を読もうと、それを楽しみに良書を集めていたのだ。社長室のキャビネットに蔵書の一部が飾られていた。
 ところが、その望みは叶うことなく、社長は急な病に倒れた。
 後日、奥さんからこんな話を伺った。
 社長の邸宅は親から継いだ古い家で、数年前に書庫の床が抜けそうになった。それで、「これ以上本を増やさないように」と奥さんが頼んだところ、意外に素直に本を持ち帰らなくなった。
「どこかに秘密の隠れ家? と疑ったこともありましたが、まさか会社を保管庫代わりにしていたとは」と、奥さんは恐縮していた。
 残された家人にとって、自宅と会社に置いた大量の収集本の処分が大問題だった。それが幸いにも、社長がひいきにしていた古本屋が全部引き取ってくれたそうだ。これだけの蔵書で雑本が混じっていないのは珍しい、と古本屋の主(あるじ)に褒められ、いい値段が付いた、と奥さんは喜んでいた。
「社長はリタイアしたら集めた本を読破したい、と楽しみにしておられました」
 私が社長の心残りをこう代弁すると、奥さんの反応は意外にクールだった。
「その夢はわたくしも聞いています。でも、どうでしょう。最近は眼も悪くなり、根気も無くなってきています。良い本も読むべきときに読まないと……」

「男のロマンは女の不満」という至言がある。言い出したのはタモリだそうだ。
 冒頭に登場した三人組の女性に、EさんとS社長の話をして女の目に映る男のロマンを語ってもらった。彼女たちの話は、旅先放談ということもあってあけすけだ。
 男はロマンというけれど、どうでもいいことに拘るオタクがほとんどで、女がときめく夢がない。だから共感はしないが、度外れていなければ反対もしない。自分たちは、今、子育てが終わり、親や亭主の介護がはじまるまでの束の間の黄金期。すでに舅が要介護になった仲間がいてこれまでの四人組が一人欠けた。
 自分の時間が持てるうちに、気の合う女友だちと旅をしたり、それぞれの趣味に興じたい。その楽しみを邪魔されたくないので、「亭主は元気で留守がいい」。夫は夫で好きなことをして貰いたい。無用な物を買い込んで隠し持つくらい大目に見る。もちろん程度問題だけど。
 しかし、家庭の崩壊につながる浮気、ことに本気の不倫に走ることはご法度。夫が仕事以外に男のロマンとやらに時間と金と精力を費やせば、キャパシティーがそんなに大きくない夫は、愛人を作る余力がなくなると彼女たちは見透かしている。
 女が最も怖れる夫の隠し物は今も昔も隠し女らしい。

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