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エッセイ・コラム

『疑惑の科学』の歴史 STAP細胞に思う

志村 良知

 STAP細胞はうたかたの夢であったようだ。
 科学者が真実でない理論や発見を発表してしまうという現象は、近代科学以前から後を絶たない。たとえば、錬金術はその体系全体が壮大なエセ科学であった。
 錬金術すなわち原子核変換が、連金術で行われたような化学的操作では起きない事は現代物理学の常識である。しかし、今から25年前、アメリカで錬金術まがいの事件が起きた。パラジウムの電極で重水を常温常圧で電気分解すると核融合が起き、膨大なエネルギーが放出される、という常温核融合騒ぎである。そこまで積み上げて来た物理学では説明できないこの現象を、超絶物理学で説明しようとする学者が多々追随した。
 さらにその10年後、炭素の同素体フラーレンを使ったFET型の素子が液体窒素温度以上で超電導体となる、という高温超電導現象が発表された。これは今回のSTAP細胞に似ている。舞台は、そこへの論文発表自体が若い科学者の夢という、アメリカ物理学会誌、サイエンス、そしてネイチャー。著者は29歳のベル研究所研究員であった。

 これらの動機を、ウソをついてでも一時的にでも有名になりたい、騒がれたい、というIPS細胞の時の森口事件と同じ、と決めつけてしまうのは酷である。後から見ると突拍子もない現象や理論も、発見当初は少なくとも発見者は真実であると信じていた筈である。
 そもそも世紀の大発見というのは、相対性理論のように、発表当時はその時代の知識を超越したものが多い。湯川博士のπ中間子理論も「お前は、そんなに新しい粒子を作りたいのか」と時の第一人者ニールス・ボーアに揶揄されたという。

 STAP細胞、常温核融合、高温超電導の共通点は、発表時に「大学の初歩教育程度の知識と実験設備」で達成した、と主張された筈なのに、いざとなったら世界最高峰の研究所とそのスタッフをもってしても再現できない、というところにある。
 なぜこんなことが起きるのか。発見そのものが勘違いや間違いであった、ということもあるであろうが、そればかりとは言えない。高温超電導では、理論の正しさに自信があった著者が、自分より優れた実験技術を持つ他人が再現してくれると信じてやった、と言われている。ほととぎすやかっこうが、他の鳥の巣に卵を産んで育てさせるという託卵行為そのものである。論文を読んだ世界中の何百という科学者が自分の理論の実証に力を尽くしてくれるのであるから、これは動機として説得力がある。STAP細胞の動機も意外とこんなところにあるのかもしれない。

 さらに問題を複雑にしているのは基礎科学いえども一たび実用化されると膨大な利権がからむこと、すなわち特許権である。これが『世紀の大発見』を厳密な検証が必要な初期に関係者だけで囲い込んで秘密にし、データや実験方法が曖昧な論文となり、さらに第三者による事後検証作業をも阻む大きな理由とされている。STAP細胞でも、理研は小保方博士のコアとなる技術を特許との関連で隠している、だから余所では再現できないのだ、とも言われた。

 常温核融合、高温超電導、万能細胞、と並んだ疑惑の科学、次は何であろうか?。
 いや、もうこの瞬間、どこかの実験室の片隅で「生命そのものを、水とメタンと窒素ガスとリン酸から合成に成功した」と確信して論文にしている若い研究者がいるかもしれない。

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