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エッセイ・コラム

白肌を覗く

西川 武彦

 28日午後、桜が次々と綻ぶ陽気に誘われて、鶴竜の奉納土俵入りを観るため、明治神宮に出かけた。
 開始時間3時の一時間前には拝殿に到着。
 土俵入りの式場は外門と本殿を結ぶ石畳の通路だ。両側には、既に色とりどりの男女が三列でぎっしり立ち並んでいた。翌日の報道によれば、3,300人の観客だったという。
 列が薄い一角に首を突き込んで待つこと暫し、アナウンスがあって、3時から本殿内で(関係者だけが参列する)横綱推挙式があり、公開の土俵入りは3時45分からという。
 二時間の起ちっ放しは喜寿の老人には厳しい。列を離れると、横門の一角に段差を見つけて腰を下ろした。背負ったバッグから、ごそごそと本を取り出して捲り始めると、行動を怪しんだのか警官らしきのがすーっと斜め後ろに近寄った。不審者扱いのようである。
 筒井康隆の新作『創作の極意と掟』を、フムフムと頷きながら読み耽ること四半時、ゴーンと腹に響くような太鼓がなった。
 どうやら拝殿で式が始まるようだ。人混みが一段と激しくなるのを眺め、渋々腰を上げて、背丈の低い女性が重なる4列目ほどのところに辛うじて捩り入る。
 幸いなことに筆者は背が高いから、爪先で背伸びすれば、190㎝近い横綱の立ち姿は勿論、土俵入りだって観られるはずだ。廻りには背伸びする外国人の観光客もチラホラ…。

 再び「ゴーン」と驚かされると、紋付姿の横綱一行が本殿から現われ、50メートル余りの石畳を通り抜けた。御召し替えである。
 3時45分、定刻に、北の湖理事長から借りたという三つ揃いの化粧まわしと純白の綱を締めた鶴竜関が初めての土俵入りを披露。
 朝青龍以来となる雲竜型の土俵入りである。左手を曲げ、右手を伸ばして堂々とせり上がる。ふっくらと引き締まった艶がある肌、静かな落ち着きの中に闘志を潜めた整った風貌。
 一巻の見事な絵を見るようだった……、と〆たいところだが、現実は厳しかった。前3列に立ち並ぶ男女が一斉に、最新型と思しきカメラやスマホを頭上に掲げて写し始めたのだ。動画らしい。土俵入りが行われる間中それらを下げることがない。本番は観られなくても撮影してあとで楽しむのだろう。
 想定外であった。結局、棒杭のように立ち並ぶ腕の隙間から、午後の日差しで赤銅色に映える美丈夫の肌をちらりと垣間見るしか出来なかったのだ。
 しっかり見せて貰うためには、それなりの代償を払わねばならない。肌の覗き見は難しいものなのである。

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