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エッセイ・コラム

スーパー観察記―食を考える その2

大平 忠

  1. 調理食品が売り場を拡げている。―「中食」の拡大

    冷凍食品、あるいは真空パック包装食品が増えている。以前から販売されている保存食品の缶詰、乾燥食品の売り場は変化していない。さらに、弁当、総菜の類がこの数年で急激に増えている。
    いわゆる「中食」が家庭にどんどん食い込んできているようだ。売り場を見ていると、コンビニでは若い独身者が弁当を買っているのに対して、スーパーでは、家庭の主婦と思える人たちが大半である。「中食」なる言葉が誕生したのが調べると1980年代だそうだ。私は、迂闊ながらこの言葉を知ったのはごく最近である。それ以来、弁当・総菜の売り場でどんな人が買っているのか気になって観察するようになった。老人も結構いる。これは自分もそうだからよく分かる。問題と感じたのは、弁当を若いあるいは中年の主婦が結構買っている現象である。共稼ぎその他働いている女性であれば分かる。しかし主婦らしき女性が惣菜を結構買い、弁当を買っている。これはショックであった。
    調べると、調理食品を買って家で食べるという「中食産業」は、現在合計すると外食産業の4分の1の規模まで大きくなっているという。

    《感想》 家庭での主婦の料理はどうなっていくのだろうか。
    子どもは、母親が手間ひまかけて作った料理を通して母親の気持を汲み取り家庭の食卓の暖かみを感じる。買ってきた惣菜、ましてやそれが弁当では何かさびしい。母親の味を伝承するということも少なくなっていくであろう。
    一時、ファミリーレストランがどこの街にもできて、外食で家庭料理が壊されると心配されたが、いまの方がもっと心配である。
    日本料理が世界遺産となった。おもてなしの精神も日本の良さだと云われる。
    残念なことに、それらの基礎となるべき家庭の料理がおろそかになり手抜きとなっているのではないだろうか。一方で日本の「だし」「うまみ」が世界に注目されるようになった。嬉しいことである。これで少しでも主婦の料理に対する興味、関心が高まり家庭料理の充実・向上が図られて欲しい。
    弁当・総菜が増えれば、売れ残りも必ず発生し廃棄物増大の原因にもなる。

  2. 食の安全は守られているのだろうか。

    加工食品、調理食品、菓子もそうであるが、裏をひっくり返すとよく分からない添加物の名前がたくさん書いてある。これらは、すべて食品衛生、安全の規制をパスしたものの筈である。しかし、毒ではないにしても果たして身体にいいかどうかは分からない。乳幼児の母親は、やはり自然食品、無農薬栽培、有機農法の食品を選んでいる様子が見受けられる。そうはいっても売り場のコーナーがあるのは一部のスーパーに限られあっても売り場は小さく、置かれている食品も多くない。しかも、価格がかなり高い。
    店に対する食品の安全度からみた主婦の信頼度は、聞いてみると下記の順番だった。安心度と値段のどちらを取るか主婦の悩みが分かる。
    ①生活クラブ生協、 産地、生産者、作り方が一番詳しい。値段は高い。
    ②大店舗生協、高級スーパー
    ③大スーパー

    国産品、輸入品の問題では、国産の方が安心だと生産、販売する方もうたっているし、買う方もそう思っているのが通常である。もっとも食品偽装問題で信頼度がゆらぎ、本当に国産品の方が安全なのかという疑問も生まれたが。
    「遺伝子組み換え」が嫌われているが、果たしてそうなのか。アメリカでは、小麦でも大豆でもほとんど遺伝子組み換え品であるが、健康上の問題にはなっていない。TPP交渉で持ち上がっているのもこの問題である。よい機会なので、この際突っ込んだ検討、論議をして貰いたいものである。

  3. 3R運動について
    これは生活クラブ生協が熱心に取り組んでいる。

    REDUCE …廃棄物の発生抑制 REUSE…再使用 RECYCLE…資源再活用

    ちなみに 買物袋として使用されているレジ袋について、無償から有料に、それもスーパー、生協によっていろいろなやり方を試みている。

    大手スーパー
    レジ袋を使用しない場合 ポイントを付ける。
    レジ袋を使用する場合 大きさによって2円から5円取る。
    大手生協
    レジ袋 10円
    生活クラブ生協
    レジ袋を置いていない。

    《感想》
    日本は、食糧の大きな輸入国であり資源も少ない。エネルギーも輸入に頼っている。無駄の抑制、資源の再利用、再活用は、産業界もさることながら、毎日の家庭生活で習慣化しなければならない必須事項であると痛感した。
    どうか男性諸君も我が家の生活とか街での買い物を、そういう目で見て欲しいと思った次第である。これは自分自身の反省の弁でもあるが。

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