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エッセイ・コラム

食材偽装といっても

新山 章一郎

 昨年起きたブランドもの食材偽装事件は、日本では超一流のホテル、レストラン、料亭、スーパーなどの信頼度を一挙に傷つけ、また国際的にはオリンピックのプレゼンテーションいらい世界的になった『お・も・て・な・し』の国ニッポンの名声に大な疑問符をつけてしまった。『おもてなし』だけではなく、誠実、正直な人たちと世界に賞賛されている国民性にも小さな“?”が付いた。
 もっとも、誠実、善良な国民性というのも、その中に生まれ育ち現在住んでいる我々ネイティブ日本人には「ちょっと、そんなに喧伝されるほどではないんだけど」と今までも面はゆいものではあったが……。図らずもそれが「まぁ、世間並じゃないの」と実証される破目になってしまった感じだ。

 僕は元来グルメではないし、ブランド志向皆無なので場末の名もない大衆食堂のものでも旨いものはうまいと思うし、付き合いで連れて行かれた有名店のものが旨くなくても、「ま、そんなものだろう」と気にもしない。『名物に旨いものなし』というように、どこそこの何々といわれるものでさすがと思ったものはほとんどない。
 お前は本当にうまいものを食ったことがないからだと言われれば、そうかもしれないとも思う。八十有余年の生涯において旨かったと覚えているのは、浜松の小さな民宿で出されたウナギのかば焼きと、香典返しに北海道の知人から送られたカニくらいのものだった。

 この飽食の時代、全国の名品がどこででもそろうご時世に旨いものを食うためにわざわざ日本の端まで行くなんてとても僕には考えられない。グルメを自認する人たちの舌はどうなっているのだろう。本当にその食材の産地を味わい分けているのだろうか、それとも『イワシの頭も信心がら』的なプラシーボ効果に酔っているだけなのか。(ある新聞での投稿に『銀座の有名パン屋さんのパンは美味しかった。しかし我々はそのパン自体の味よりも、そこで食べたという雰囲気を味わっていたのかもしれない』という趣旨のものがあった)。

 そこまで考えると、今回の事件で偽装食材を食わされたという人たちが、槍玉に上がった有名ホテルや老舗料理屋に金を返せと要求してきたというのも妙な話である。彼らは少なくともその食材を食べたその時点では「やっぱりここのこれはその名のとおり旨い」と満足していたのではないか。彼らは有名店で、名にしおう有名産地のビンテージ食材(?)を食って感激、満足していたのだ。もし客を接待したのだったら、客はこんな豪華なものをこんな高級店で大盤振る舞いしてくれたと感激し、接待した方はどうだとばかり鼻を膨らませていい気持ちになったのだ。皆が出されたものが有名品と思ってハッピーなひと時を過ごしたのならそれで十分ではないか。

 大体グルメなんていうものはひと時の歓を味わうもので、その料理がのどを通り過ぎればそれで完結するものだ。その点ではそれを提供した店側の責任も客が『ごちそうさん』と満足して暖簾をわけて出て行くまでだ。
 さすがは伊勢湾の伊勢海老、胃の通りもよければ、出るおならも臭くないなどと二日も三日も感激に浸っているものではない。美女を擁して一夜の歓を尽くした後でその美女がニューハーフだったことがわかったから金を返せとはいかがなものか。まして、料理として出されたものがシバエビかパナメイエビかは専門家でも見分けるのは難しいというからなおさらだ。

 大体それを食う方が金、銀、紫に髪の毛を染め、ありもしない能力とか教養とやらを金の力でごてごてとなすりつけているだけの偽装人間なのだ。偽装が偽装を食っているようなものではないか。そうカリカリすることはない。

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