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エッセイ・コラム

用意周到の人と

濱田 優(ゆたか)

 この期末試験をクリアしないと単位不足で留年、卒業がお預けになってしまう。なのに、試験がはじまって30分も経つのに答案は白紙のままだ。気持は焦り、鼓動は早まり、冷や汗が流れ出る……。
 数年前までこんな悪夢によくうなされた。追い詰められて万事休すと諦めたときに目が覚め、それが現実でないと分ってやっと夢でよかったと人心地がついたものである。

 実際は落第しなかったものの、「不可」をレポートや追試で救ってもらってなんとか試験を切り抜けた。次回から人並みに勉強して試験に備えようと決意するのだが、怠け癖は改まらず卒業まで改善されることはなかった。
 それどころか、級友に借りた講義ノートの分量が増えて写しきれなくなると、女友達に手伝ってもらう。ついには、親切な級友の学生寮に試験の前夜から泊り込み、彼のノートを夜明けまで読んで試験に臨んだことさえある。それで、憶えたての知識を忘れる間もなく答案に書くのだから首尾は上々、とぬかすのだから度し難い。

 社会人になると、さすがに自分の怠慢で人や組織に迷惑を掛けるわけにはいかないので最低限の規律と期限は守るようになった。
 といっても、検討書や企画書を書き上げるのはいつも期限ぎりぎり、切羽詰らないと本気になれない、困った習癖をずっと引きずっている。

 世の中にはこんな怠け者とは対照的な用意周到の人がいる。彼らはまだ先のことでもやるべき準備をさっさとするのだ。その典型がノートを快く貸してくれた勤勉な級友。彼は日頃授業に出て予習復習を真面目にしているから、試験だからといって特別に勉強をする必要はない。ノートを写してくれた女子大生も人の手助けをする前に自分の勉強はとっくに済ませていた。

 その彼女が縁あって私の連合いになった。生来のものぐさと用意のいい彼女が一緒に暮らすとどうなるか。
 たとえば予定管理である。連れはカレンダーに予定を細かく書き込み、当日やるべきことチェックしてメモにする。私の予定もひと言伝えれば、あたかも最新のスマホのリマインダー機能のように事前に警告してくれる。お陰で用件を忘れて慌てることが少なくなった。

 それはいいのだが、予定に変更は付きもの。私が出掛けるときには決まって帰宅時間を聞かれる。けれど、久し振りに旧友に会ったときなど積もる話があって、席を変えてもうちょっと……が重なり予定を大幅に超えることもある。こんな時は途中で家に電話をすればいい、とわかっていても男の見栄もあるし、一々煩わしい。現役のときは、家を飛び出せば連れの束縛から離れられた。せっかく宮仕え終えて自由の身になったのに、こんどは連れに管理されるのか、と私は身勝手な不満を覚える。

 ところで、用意のいい連れのやることは、すべて段取りよく順調に運んでいるのだろうか。一緒に暮らして間近で見ていると必ずしもそうではない。
 身近な家事で洗濯を例にとると、うちは二人所帯にしては洗濯物が異常に多い。二人とも週3、4回スポーツクラブに通っているからだ。その洗濯の予定を天気予報、それも週間予報を基に考えるから狂うことが多く振り回される。本人も予報は当てにならないと言いながら、毎朝NHKテレビの気象予報士が告げる天気予報を信じて同じことを繰り返すから、傍で見ていると可笑しい。

 概して、とはいえないが、うちの用意周到の人は状況に急変に弱いようだ。どうしても折角準備したのに、とこだわり、それを捨てて新しい状況に応じられない。その点、無精な成り行き派は臨機即応するしか生きる道がないので状況変化に驚かない。場当たりの手立てでは十分な対応はできないが、これまでそれでなんとか切り抜けてきた。

 もちろん、周到な用意を怠らずに十分に用意をしておきながら、状況次第でそれにはこだわらないで柔軟な行動をとることが望ましい。勝海舟はそれを〝不用意の用意〟といい自ら実践して江戸城無血明渡しに貢献したと聞く。が、凡人の私たちにはとてもできない相談だ。せめて用意の部分と不用意の部分を手分けし、喧嘩しながら補い合って夫婦で暮らしていくしかあるまい。

 連れが新しいカレンダーに赤鉛筆でせっせと予定を書きこんでいる。その後ろ姿を眺めながらそんなことを考えた。

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