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エッセイ・コラム

Myエンデイング・ノート

西川 武彦

 今夏、三週間続けて元職場の同僚と学友が昇天した。一人は中高時代の親友で、お通夜に集まった元悪がきどもが、賑やかに故人を偲んだ。
 そのとき話題になったのは、エンデイング・ノート。言いだしっぺは、元銀行マンのY君。「俺、エンデイング・ノートを書いているのだ」ということから議論は沸いた。要は、葬儀・相続などを含めた終り方、残し方、歩いた道などを、残された家族に分かり易いように記しておくのだ。

 一夜明けて、書斎に籠もって見回すと、書類、名簿、名刺、書籍、雑誌、新聞、その他己に関わるあらゆるものが、所狭しとばかり押し込まれている。雑多なコレクションは各部屋の戸棚を埋め尽くして、惰眠を貪っている。葬儀・相続の各論も白紙状態だ。
「そろそろちゃんとしておいてね、あとで困るから…。好きで集めたものもなんとかしなければね」。連れ合いから喰らうジャブも効いてきた。
 筆者とてぼんやりしているわけではない。ラジオ番組から書き起こした故小沢昭一さん著の『ラジオの心』に収納されている「ぼちぼちお墓について考える」などを参考に、自分なりにぼちぼち考えてはいたのだが、喜寿を前に、やっと腰を上げることにした。ただし、へそ曲がりだから、並みのエンデイング・ノートは勘弁願いたい。

 二十年来棲み分けている山荘がある八ケ岳山麓には、ギャラリーが散在している。大は、『平山郁夫シルクロード美術館』から、小は、知人の女性画家が自分の作品を展示するために造ったミニギャラリー、元商社マンが中東など海外でのコレクションを展示販売するミニギャラリー等々、いずれも個性的である。これらがヒントになった。Myエンデイング・ノートとして、山荘を改造して、ミニギャラリーを作ることにしたのだ。
 小さなログハウスには、8坪ほどのテラスが、かなりの傾斜地に張り出ている。その軒下に一部屋増築。コレクションをギャラリー風に並べる。
 時々展示を変える。一角には、自分史コーナーを作り、簡略な自分史と資料を整理して、保管しつつ一部は展示?残し方、終り方を認めた家族用メモを納める?
 古希を過ぎてから滅法気が急くようになった。さっそく、同じ高原に棲んで親しくしている建築設計家H氏にデザインを依頼。業者を選定して、予算を含めて最終的詰めの段階にある。
 もっとも併行して始めたミニギャラリーへの収蔵品の選定は早くも難航している。経済的価値は大したものではないにせよ、思い出が染み付いた品々が多すぎるのだ。主に欧州で求めた銅版画、リトグラフ、飾り皿、世界各地で収集した50体のフルート人形、中国の知人から頂戴した書、趣味のヴォーカルカルテットの活動を納めたパンフ・CD/DVD類、自著・共著の本、人生の節々で参考になった書籍・雑誌・新聞、etc. etc。ミニギャラリーとは名ばかりで、倉庫が一つ増えるだけになりかねない。エンデイング・ノート造りは大変なのである。

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