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エッセイ・コラム

『飯』家の人々(第二話)

池田 隆

 新進実業家の忠七は上方へ行くと祇園にも出掛けていたが、「豪傑、色を好む」の喩えの如く、ある芸妓と懇ろになる。しかも落籍させて、「大事な客筋の娘さんを預かる」と称し、今治に連れ帰った。
 糟糠の本妻はすぐに嘘を見破り、長子の幼い忠太郎を残し、家を出ていく。忠太郎は元芸妓の継母に育てられるが、つねに鬱々とした思いが続く。十一歳のとき、米宣教師が今治まで布教に訪れた。親には内緒でキリスト教の説教を聞くと、新鮮な驚きと感動を覚え、気持ちが救われる。同じ思いの青少年たちが交流を深めていくが、その中には、後に「今治綿業の父」と謳われ、今も今治城に銅像が立つ矢野七三郎もいた。
 明治十二年、今治にもキリスト教会が創設され、新島襄の直弟子である横井時雄牧師が赴任してくる。仲間と共に忠太郎も入信するが、昔堅気の父親は許さなかった。彼は教会の伝手で尼崎へ出奔し、旧尼崎藩士 山口正則の世話を受ける。マッチ工場や靴屋、牧場で働きながら、同志社で勉学に勤しむ。
 父子の確執も年月が融かす。二〇代半ばになった忠太郎は帰郷し、父の跡を継ぐ。本業の回船問屋と旅館に加え、新たに牧畜業にも手を拡げ、自らも乳製品の改良に関り、立派な成果を上げていく。そこには常にピューリタン的な精神と父親譲りの胆力が見られた。
 重要顧客であった近くの住友鉱山で、製錬所の煙が付近一帯の農地を汚染する公害事件が起こる。その対応のため住友の社員が彼の旅館に泊まっていた。そこへ怒り狂った大勢の農民が押し寄せてくる。
 忠太郎は配下の屈強な沖仲仕を呼び集め、「宿泊客を守ってくれ。しかし農民たちに決して手を出さないで欲しい」と頼む。「相手が殴ってきてもか」の不平に、「我慢してくれ」と頭を下げ続け、事態を収拾した。
 また彼の旅館では、酒出さぬ、芸妓入れず、茶代なし、九時門限 の四規則を掲げる。当時として型破りな旅館商法であったが、却ってそれが信用を呼び、顧客が増えたという。

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