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エッセイ・コラム

食の自給と持続可能社会

森田 晃司

 日本の食の自給率は昭和35年を境にして急激に悪化して、30年ほどの間にカロリーベースでは80%強から40%前後にまで低下しました。この20年ほどは下げ止まってはいるものの、カロリーベースでは6割、生産額ベースでも3割を輸入食料に頼っているのが現状です。戦後、得意分野の工業品を輸出して外貨を稼ぎ、競争劣位の食料は輸入するというのが当然のこととされてきました。この数年は貿易収支が急速に悪化したとはいえ、一兆ドルを超す外貨を保有する豊かな日本にとっては、食料は金で賄えるものとなっています。
 しかし、さまざまな要因から多くの識者が懸念するように食料危機発生に際しての備えも必要です。また、海外生産では食品の安全に対する配慮にも限界があります。
 そして、何よりも高温多湿な日本列島は世界がうらやむほど食料生産に適した土地柄なのです。この列島には世界でもまれなほどに豊富で多様な生物が生息しています。食料生産に適した風土である何よりの証左です。
 にもかかわらず、10億前後の人々が飢えに苦しむ世界の現状の中で、先人が開墾してきた棚田や里山を棄て、あまたの耕作放棄地を荒れ放題にし、金にあかせて食料を海外から輸入し続けることが許されるのでしょうか。
 しかも、日本は食料を海外に依存しながら、4割近くは無駄に廃棄しています。

 日本には“足るを知る”という道徳観念があり、奢侈を戒めてきました。
 “もったいない”という生活慣習があり、とりわけ食べ物は残したり、無駄にしてはならないとされてきました。
 食前には“いただきます”と言い、動植物のかけがえのない命を食料とすることを感謝してきました。
 また、身土不二という仏教用語があり、身体と土(環境)は一体のものであり、四里四方の地元の食物を食べるのが最も健康に良いという教えでした。
 何千年にもわたって先人達が築き上げてきたこうした貴い精神文化が都会への人口集中、更には食の海外依存により荒廃してきていると言えます。

 自給な暮らしを実践することはとりもなおさず再生可能な暮らしの実践となります。再生できなければ自給は継続できないからです。他人の土地から際限なく食料や資源をとって来ることから枯渇は始まります。
 農業生産は最も効率の良い太陽エネルギー利用です。機械や肥料・農薬に頼る米国型の食料生産は投下エネルギーが、作物として得られるエネルギーの2~3倍に達するとの説もあります。過度に機械や肥料・農薬に頼らずに、この列島の高温多湿な風土を活用してできるだけ自然に即した集約型の農業に磨きをかけるべきです。日本が得意とするバイオや先端生命科学の技術を応用できる余地は無限に広がっています。
 食は文化であり、歴史であり、環境であり、医療であり、先端科学です。時には戦略物資ともなる重要なものです。都会の消費者が、単に価格だけを求めるのではなく、真摯に食と向き合うことで、生産者の意欲を刺激し若者に誇りを持って農業に就労することを促せるはずです。

 付言すれば、昭和35年から洋食化が急激に進展しました。それにつれて一人当たりの米の消費量は半減しています。輸入食品の過半は小麦、肉、食料油の原料、飼料などで洋食化の影響が直に出ています。
 食の自給は、無駄な廃棄を極力なくす、米を中心とした伝統食に回帰する、減反をやめ栄養価の高い良質な作物生産を促進することで充分可能だと考えます。

以上

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