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エッセイ・コラム

なぜ日本だけが慰安婦で非難されるのか

玉山 和夫

 日本は第二次世界大戦中の戦地における慰安婦について、韓国からばかりでなくほかの国からも厳しく非難されています。
 今回の橋下発言でも「当時慰安婦制度は世界各国の軍は持っていた」というのは正しいのですが、充分な手当をしなければ、これが傷口を大きくすることにもなりかねません。
 日本の慰安婦に類するものは、どこの国の軍隊にもあったのですが、日本は要領が悪く慰安婦を公然と認めていたのに、ほかの文明国は表向きには軍人用の慰安婦がいなかったことにして、うまく隠していたのです。

 国連人権委員会の慰安婦に関するノーティスでも「日本は人権侵害のはなはだしい国の一つであった」といっており、明らかに日本以外にも同じようなことをやっていた国があったと認めております。
 外国の一例をあげますと、1944年3月から日本軍はインド東部の山岳地帯にあるインパールで英国軍を88日間包囲しました。英国軍の約三分の一は英国人兵で残りはインド兵でした。
 英国ダーラム大学のルイアレンはビルマ戦の全貌を書いたThe Longest Warの初版に「インパールでは英国兵が性病にかかることが多く、時には入院患者のうち性病の兵が、戦場で負傷した兵より多いこともあった。
 それで軍が対策をとったら性病患者が激減した」と書いています。(このことは第2版からは削除されています。やはり何か都合が悪かったのでしょう。日本語版にもでていません)
 その対策は何だったかというと、現地の女を相手にして性病に感染した兵士を減らすために、英軍は百名もの慰安婦を連れて来て軍の監督のもとで売春させたのです。
 しかしその時インパールは日本軍に完全に囲まれていたので、軍の輸送機しか慰安婦を連れてくる方法はありませんでした。食糧などもすべて軍からもらっていました。
 慰安婦の居る建物は軍の施設でNCOクラブとよばれていました。NCOとは下士官のことです。日本軍は慰安婦に軍が関与していたと非難されていますが、インパールの英軍の慰安婦の管理はもっと実質的でした。
(かって訪日した英国BCFGのインパール戦に参加した元兵士も話してしました。「インパールは包囲されていたので食事はずっと定量の半分の1600カロリーでいつも腹をへらしていて元気がなかったが、それでもNCOクラブに行くやつは結構いた」)
 英軍は慰安婦のことを兵が手紙に書くのを禁じていましたし、手紙はすべて検閲されていたので、英本国では慰安婦の存在は知りませんでした。
 英兵は日記などを書くことを禁ぜられていましたから、慰安婦は記録に一切残りませんでした。軍司令官は慰安婦を認めていたことがわかると本国の婦人団体などから不道徳だと非難され地位が危なくなりますから、秘密保持を厳命していたのです。

 韓国の官民をあげての執拗な宣伝活動のため、日本の戦時慰安婦は全世界に浸透しています。このまま放置しておいてよいのでしょうか。これによる悪評(ジャパン・バッシング)は日本の大衆向き製品の輸出にも微妙な障害ともなっています。
 外国の一般大衆は自国の戦時慰安婦のことを知らないのですから、まず各国の実情を詳しく学術的に調査して、反論の基礎とするのはどうでしょうか。今なら当時の関係者がまだ生きていて証言してくれる可能性があります。

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