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エッセイ・コラム

「アラブの春」再考

都甲 昌利

 昨年の春、東京・市ヶ谷の東京日仏学院で『アラブの春は終わらない』を書いたモロッコ出身でフランスに暮らす作家のタハール・ ベンジェルーン氏と作家・池澤夏樹氏の対談があった。アラブ人でイスラム教徒の作家の話は渦中にある身で傍観者ではない。中東で独裁政権を育成し、今度は解放者と豹変した欺瞞に満ちた欧米中心の秩序から、真の人間の尊厳、自由と自立、公正と安全を目指した民主化を進めることが必要と彼は力説していた。

「アラブの春」はその後、シリア、イェメン、バハレーンに波及してますます悪化している。シリア、チュニジアでもエジプトでも新しい政治形態はみえてこない。それどころか、民主化を進めたために過激派の結束を強化したとの見方もある。タハール・ベンジェルーンは「民主主義は文化。その価値を共有するには時間がかかる。今は過渡期だ。絶望してはならない」と強い口調で述べていたが、果たしてそうだろうか。エジプトは人口の90%、シリアは85%、アルジェリアは99%がイスラム教徒だ。そのような風土にキリスト教民主主義は育つのか。アラブ諸国は西欧とは縁を切りイスラム教を基本とした国家を作った方が、安定するのではないかと考えるようになった。

 第一次世界大戦前までオスマン帝国の支配下、アラブ人たちは部族を中心とした遊牧的な今より平和な生活を送っていた。少なくとも現在のように毎日何十人も死者や難民が出る状況ではなかった。
 そもそも、現状を作りだしたのは英国とフランスだ。英国はアラブ人に対してはイスラム教徒の聖地メッカを守ってパレスチナの土地に独立国家を作ることを約束する一方、ユダヤ人に対しては流浪の民だったユダヤ人にパレスチナにユダヤ人国家建設を約束する。もともと自分の土地だったパレスチナにユダヤ人が入植するのは許せないというのが、アラブ人の言い分だ。更に、英国はフランスと「秘密条約」を結んでオスマン帝国に勝利した後の処理について、中東諸国を分割するというものだった。
 チュニジア、モロッコ、リビア、アルジェリア、マリ、エジプトなどの国境線は人工的に引かれた直線だ。自然の国境線ではない。英仏が分割した証左だ。このような似非文明国から縁を切った方がよい。ただし、イスラム国家成立の場合は、シーア派とスンニ派の和解が絶対条件だ。
 タハール・ベンジェルーンが主張するように「民主主義の文化を実現するには時間がかかる。絶望するな」が正しいか、またイスラム国家を創設するのが正しいか、苦しんでいるアラブ諸国の人々が選択すればよい。

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