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エッセイ・コラム

アイゼナハのヴァルトブルグ城

平尾 富男

 フランクフルトからライプツィヒを結ぶ街道は、ゲーテ街道と呼ばれる。ゲーテ終焉の地であるヴァイマールを経由して、東西ドイツ統一後の現在は観光街道として整備されている。
 この街道沿いに、人口43,000のアイゼナハ(Eisenach)がある。この街で生まれたヨハン・セバスチャン・バッハを記念した「バッハ・ハウス」があり、チェンバロなど当時の鍵盤楽器(クラヴィール)やバッハが書いた楽譜などが陳列されている。1685年生まれのバッハは、1750年に没するまでに1,000曲以上の作曲を行った。バッハ好きならずとも、クラシック音楽の愛好家にとっては生涯に一度は訪れたい所であろう。
 音楽好きといえば、アイゼナハにあるヴァルトブルグ城(Wartburg)は見逃せない。ワーグナーが歌劇『タンホイザー』(正式名称は『タンホイザーとヴァルトブルグの歌合戦』、“Tannhäuser und der Sängerkrieg auf Wartburg”)の着想を得た中世伝説「ヴァルトブルグの歌合戦」で知られる舞台である。伝承によれば、歌合戦の敗者は首を刎ねられたこともあったらしい。歌を唄うのも将に真剣勝負だったのだ。そのヴァルトブルグのブルグはドイツ語で城の意味であり、11世紀始めに築城が開始された。
 1211年には、ハンガリー皇帝の王女、エリザベートがテューリンゲン方伯と結婚するために、わずか4歳の若さで入城した。1221年に結婚したが、夫である方伯が十字軍遠征中の1227年に病死した結果この城を去るが、その後1231年に24歳で亡くなるまで、貧者や病人の為に尽くし聖女に列せられた。哀愁を帯びた「聖エリザベート」のエピソードに因む城でもある。騎士で吟遊詩人でもあるタンホイザーが愛した女性の名前もエリザベートだ。
 ワーグナーの『タンホイザー』は、テューリンゲンの谷間にある牧歌的で清純な空気に満たされたヴァルトブルグの世界と、官能の渦巻く堕落世界の象徴であるヴェーヌスブルグの世界の対比を描いている。ヴェーヌスブルグはワーグナー創作の架空の地名だが、ヴェーヌスはドイツ語でヴィーナスの謂だから、ドイツ的禁欲主義の対極の象徴としてヴィーナスが据えられたというのが面白い。因みに、2013年はワーグナー生誕200年、没後130年に当たる。
 16世紀になって、退廃した当時の教会に反抗して宗教改革を行った為に、キリスト教会から破門されたマルティン・ルターが約1年間滞在したのもヴァルトブルグ城。滞在当時、ルターが新約聖書をドイツ語に翻訳したと伝えられる部屋が城内に保存されている。
 そのルターを尊敬していたゲーテは、ワイマール公国の宰相となってからも、アイゼナハを度々訪れて古城の補修を指示したという。堅固な要塞として、或いは煌びやかな居城として、過去1世紀近くに渡ってテューリンゲンのアイゼナハ郊外で、辺り一体を睥睨する山の上に聳え立ち続けている。
 現在、事前に申し込んでおけば、独、英、仏、その他の言語による城内を巡るガイドツアーが用意されている。「騎士の間」から始まり、「食事の間」、鮮やかなモザイクが見事な「エリザベートの間」、「歌合戦の広間」、「祝宴の間」と城内を見学すると、歴史ある数々の広間、大広間に数百年のロマンと悲哀が漂っているのを覚える。
 古城は1999年には世界文化遺産に登録されている。

(2013.03.27)

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