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エッセイ・コラム

尖閣騒動は原発再開のための「目眩まし」

池田 隆

「目眩まし」は相手の目を一瞬見えなくさせ、欺く手段である。手品・忍術から戦術・国際問題まで、古来よく応用されてきた。政治家が国内問題に行き詰ると、すぐに他国を非難し、ナショナリズムに訴えて国民の目を外に向かせるのは典型である。
 今回の尖閣列島騒動は脱原発気運の世界的な広がりに対する目眩ましではないか。第二次世界大戦の戦勝五ヶ国は独占的な核兵器保有国として今なお世界に君臨し、核兵器と裏腹の関係にある原発の維持に敏感である。
 五十八年前、第五福竜丸事件を切掛けに世界で核兵器廃絶のうねりが生じると、アイゼンハワーが ”Atoms for Peace” と国連で夢を語る。それから数十年後の公文書公開で判明した事だが、その際に米国は正力や中曽根を使い、日本国民の目を原子力の危険性から逸らさせた。
 スリーマイルとチェルノブイリの原発事故で欧州や米国で脱原発の気運が高まった時には、米ソ冷戦も消えて目眩ましも通じない。長年月をかけて新設を中止し、国民が傷の痛みを忘れるのを待つ。ほぼ忘れたと見るや原発再開に踏み出した。
 今回の福島原発事故はそんな矢先に発生した。しかも原子力技術の先進国、日本で起こったのである。独国はいち早く脱原発に舵を切る。五ヵ国でも脱原発の気運が再燃し始める。准核保有国の国際的公認を得ている日本も、国民の声に押されて原発ゼロを目指す政治情勢である。
 経済問題や電力不足の脅しでは日本国民の多くが騙されなくなっている。後は目眩ましのナショナリズムを使って国民やマスコミの関心を少しでも横に向けさせ、その間になし崩し的に原発建設や運転を再開させるのが米国の国家戦略機関の筋書きであろう。日米安保条約を匂わせれば日本のトップ連は弱い。
 導火線役には石原都知事、中国での反日運動の高まりなども計算の上で尖閣列島を国際問題化させた。尤も両国が本気になり武力衝突になっても面倒だ。米国政府は今その手綱さばきに腐心している筈である。
 この推理の妥当性が明らかになるのも残念ながら今から数十年後の公文書公開時点になるかも知れない。ただ、それが目眩ましであろうと、なかろうと現在の我々は脱原発の意思を一過性にせず、持ち続けようではないか。

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