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エッセイ・コラム

猫と亭主の包丁修行 ―猫たちへの挽歌―

浜田 道雄

 二十年来、家族の一員だった二匹の猫が一昨年、昨年と続いて亡くなり、わが家もすっかり寂しくなった。
 猫たちは二十年前の夏のはじめ、二週間ほどの間をおいて一匹ずつどこからかやって来て、わが家の一員となった。まだ生まれて間もなくだったようで、二匹とも私の手のひらに乗るほどの大きさしかなかったが、わが家が気に入ったらしく、私たちによくなつき、よく食べ、よく遊んで、私たちを楽しませてくれた。この二十年間、猫たちは私たちにとってかけがえのない、かわいい家族だった。もっとも、年を取ってからは、どちらも態度がひどくでかくなり、食べ物にもずいぶんうるさくなったが。

 二匹は子猫のときからマグロで育った。家に来てまもなく、マグロのアラを与えたところ、夢中になってかぶりつき、丸呑みではないかと思うほど慌ただしく食べ、すぐにまた「モットー! モットー!」とせがんだ。そして、腹がタヌキのように丸くパンパンになるまで食べて、はじめて満足した。
 そんなにして必死にマグロにかぶりつく姿、満腹して丸くふくれあがった腹を揺すって、これ以上の幸せはないようにじゃれあって遊ぶ姿を見ていると、かえってこの子猫たちがわが家にたどり着くまでに嘗めたに違いない数々の辛酸が思われて、こんなにも喜ぶのだからと、それからは足しげく魚屋に通ってはアラを買い、与えるようになったのだ。
 だが、アラは大きく、骨や硬い筋がたくさんある。子猫に与えるには身を骨から外し、筋を抜き、小さく刻み、とかなりの調理をしなければならない。

 それが亭主の包丁修行の始まりだった。猫たちのためにたびたびアラを捌き、切り刻んでいるうちに、包丁使いが面白くなってきたのだ。当然、道具もいろいろと揃えるし、したがって亭主の包丁の腕も上がって来る。すると、亭主は捌く魚もアラでは満足しなくなり、アジからタイへ、イナダからホウボウへと昇格し、包丁捌きも三枚下ろしから、刺身の造り、薄造りへと多彩になっていって、わが家の食卓も料亭のそれと変わらぬ(?)見事な賑わいを見せるようになった。

 おかげで、猫たちは亭主が捌く魚の新鮮な内臓をしょっちゅう賞味することになり、食卓の上の料理からだってお裾分けを頂戴することにもなる。だから、亭主が台所に立つと、猫どもはすぐに殺気だち、庭で遊んでいても、こたつで昼寝をしていても、一散に亭主の足元に駆け寄ってきて、「オサカナだ! オサカナだ! 早くちょうだい!」と騒ぎたてた。もっとも、それが包丁の手入れだったり、食事の後片付けだったりと知って、ガックリとして頬を膨らますことも少なくはなかったが。
 こんな毎日が続いたのだから、猫たちがグルメ猫になり、食べ物にうるさくなったのもしかたがない。これも亭主が包丁修行で腕を上げた所為である。

 そうこうするうち、飽食の日々を当たり前と思うようになった猫どもは、食べるものに注文をつけることが多くなった。亭主が与える内臓も、本当に新しく、うまくなければ見向きもしなくなったのだ。新鮮なものにはすぐにかぶりついたが、亭主が「ちょっと、鮮度が落ちるかな?」と思いながら、そっと内臓を差し出すと、スーッと鼻をつけ、すぐにそっぽを向いて、「こんなもんが喰えるかよ!」と横目で睨む。
 そんな飽食猫の傲慢な態度を、亭主はかえって「魚の目利きになる」と喜んで、魚を買って来ては内臓を与え続けた。奴らがかぶりつくと「よしよし、この魚はいい。薄切りがうまいぞ」と張り切り、そっぽを向かれると「焼き魚にでもするか」と気落ちした。

 猫が逝って一年、わが家の食卓に魚料理が載ることはあまりない。亭主も包丁を手にしなくなり、愛用の刺身包丁もいまでは台所の隅で光を失い、錆が出はじめている。

(2012.06.09)

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