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エッセイ・コラム

「眠れる美女」

西田 昭良

 10メールほど先の横合いからヒョイと現れて、小走りに前を歩いて行く女性に心を奪われた。
 顔かたちを見るのも忘れてしまって年齢も定かではない。察するところ、行っていたとしても、20代の中ほどか。
 全体的に白っぽく、ピンク色も滲み出る薄物の装いに初夏の息吹を感じて、清々しい。
 腰は足長蜂のようにくびれ、殿部は桃のように形が佳(よ)い。それをやっとカバーするかのような短いスカート。そこから伸びた腿(もも)は、馬術家のいわゆる枇杷(びわ)股(また)にも似て、ぱんぱんに張っている。それでいて不格好な太っちょを感じさせない。脹(ふくら)脛(はぎ)も適度に緊張していて、足首あたりでキュッと引き締まっている。最近では見たこともない健康的で、均整のとれた八頭身美人だ。
 どんな相好をしているのだろうか、と追い越して、何気なく降り返って見たい衝動に駆られ、歩くテンポも少々速まった。しかし、ああ何と情けないことか。多少登り坂にはなっているものの、彼女との距離はひらくいっぽうで、一歩ごとに動悸や息切れが増す。しだいに彼女は小さくなって、やがて駅の入口の雑踏に吸い込まれるように消えて行った。
 以前に読んだ川端康成の短編『眠れる美女』を思い出す。
 もう何の用も成さなくなった老人どもが集まって、薬で眠らされている美女の裸体をじっと観賞しながら、それぞれ紆余曲折であった若かりし頃に想いを馳せる。
 それを商売にしている家主とも、また老人同志の間でも、互いに交わした約束事、つまり、接触や、変な行動を起こさないことを、頑なに守る。
 永遠に〝よし〟という声がかからない犬の〝おあずけ〟。それと承知しながら、じっと我慢する老人たちの滑稽さと虚(むな)しさ、哀れさ、そして人生の儚さ。
 読んだ当時は、とうぶん俺には縁がない、とは思っていたが、いつの間にか彼らの齢をはるかに越えてしまっている。にもかかわらず、見知らぬ女性に磁石のように魅(ひ)かれるアホさかげん。
 長年にわたる日本女性のヤセ願望によって出来上がったボディーは、押しなべて、見るからに貧弱で病的である。
 『眠れる美女』の老人たちに倣って、誓書を遵守するのを前提に、女性はすべて讃美あふれるボディーであって欲しい。さすれば、原発廃止で節電せざるを得なくなったとしても、世の中は明るく輝くというものだ。
 と勝手な思いにくれる、初夏の砌(みぎり)。

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