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エッセイ・コラム

夏目漱石の足跡を訪ねて(ロンドン時代)

都甲 昌利

 私がロンドン駐在員時代、夏目漱石が英国留学時代に住んでいたアパートがあることを知ったのは、ロンドンで発行されている日本人向けの情報誌「ロンドン通信」の記事であった。住所は81 The Chase。 ロンドン中心部の南西にあり感じの良い落ち着いた住宅地だ。地下鉄Northern Line のClaptham Comonnという駅で下車して徒歩10分位で行ける。

 漱石は1900年(明治33年)10月から2年間、英語研究のためロンドンに留学した。熊本時代でもそうであったようにここでも5回下宿先を変えている。
 The Chaseは最後の住居である。3階建ての建物で玄関には青色のプラーク(歴史的に著名な人物が住んでいたことを示すー日本人では漱石が初めて)が掛っていたのですぐ分かった。3階の書斎や居間には漱石に関する資料や写真が飾られていたが、目ぼしいものは無かった。それはそうだろう。下宿先だったので帰国する際、引っ越し荷物として大切なものは持ち帰ったのだから。

 漱石はロンドンでうつ病や神経衰弱に罹り余りハッピーではなかったということが言われている。私には理解できる。彼にとっては初めての外国である。私も初めての外国駐在は緊張感の連続であった。神経が休まらなかった。私の場合は家族同伴ができたが、漱石の場合は妻子を日本に残してきた。当時は日本人もあまりいない。それに加えて天候である。霧の町ロンドンは昼間でも暗い。憂鬱な気分になる。漱石の時代は煤煙でもっとひどかったに違いない。漱石を最もうつに追いやったのは交友関係だと思う。彼ほどの知識人は知的な会話が必要である。やっと巡り会えたのはシェクスピア学者のクレイグ先生であった。この教授の個人レッスンを受け大学へは通わなくなったということだ。だから、日本人の池田邦苗(グルタミン酸ナトリウム「味の素」を発見した科学者)が留学先のドイツからロンドンに来て、5ヶ月間という短い期間ではあるにせよ、一緒に生活をした時、漱石がうつ状態から解放される時であったに違いない。

 ロンドン市のチェルシーに英国の偉大な歴史家・思想家であるトーマス・カーライルがかつて住み、現在は博物館になっている。夏目漱石と池田菊苗がそこへ訪問した記録が残っている。私が訪れた時、受付のご婦人が一冊の記帳名簿を持ってきてくれた。ページを開くとセピア色になった美しい筆記体で「K.Natsume」、「K.Ikeda」と書かれた署名を見せて呉れた。このご婦人は日本人が訪問すると必ず見せるらしい。

 漱石の紀行記にも「50恰好の肥った婆さんが出てきてお這入りという。最初から見物人と思っているらしい。婆さんはやがて名簿のようなものを出して御名前をと云う。余はロンドン滞留中四たびこの家に入り四たびこの名簿に余の名を記録した覚えがある。この時は実に余の名の記入初であった。なるべく丁寧の書くつもりであったが、例によってはなはだ見苦しい字が出来上がった。前の方を繰り広げて見ると日本人の姓名は一人もない。してみると日本人でここへ来たのは余が初めてだなと下らぬことが嬉しく感ぜられる」と書いている。
 英国留学中、漱石はスコットランド地方に旅行をした。旅行を通して英語や英文学のみならず多くの物を吸収した。作家としての基礎はこの頃に形成されたと言ってよい。
 最近、ロンドンからの便りによると、最後に住んでいたThe Chaseにある住居が売られるらしい。日本人が訪問しなくなったのかもしれない。しかし、漱石がここに住んでいたという青いプラークは残るだろう。日本が建国の意気に燃えていた明治が段々と遠くなるのは寂しい限りだ。

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