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エッセイ・コラム

想定外の2011年

金京 法一

 福島原発事故に関連して,東電は「想定外」を連発して世間の顰蹙を買った。いい加減な甘い想定しかやっておらず、事故は想定外というよりは、甘い想定に基づく人為事故だというのである。いずれにせよ事故の影響は地元住民のみならず、広範な地域に様々な影響を及ぼしつつあり、原発事故の恐ろしさを見せつけている。

 原発事故の元凶である東日本大震災と大津波は文字どうり想定外の大事件であった。一万九千人以上の人命が失われたり未だに行方不明で、先進国でこんな悲惨な目にあったところは近年ないのではなかろうか。こんな大惨事を想定することは人間の理性を超越している。テレビで放映された津波のすさまじさは悪夢としか言いようがない。復旧復興には巨額の資金と時間が必要であるが、政治の貧困も手伝って遅々として進んでいない。日本の失われた20年に追い打ちをかける惨禍である。

 独裁政権が長年支配し、民主主義が完全に否定されたと思われたアラブの国々で、大衆による独裁政権打倒のうねりが起こっている。チュニジアに始まり、エジプトのムバラク、リビアのカダフィを倒した「アラブの春」運動はシリアの独裁政権打倒に向かっている。隣接国との複雑な地政学的関係から、シリアはチュニジアやエジプトの様に単純ではないが、先は見えている。これらの国では軍部や反対派のクーデター的な反乱ではなく、政治とは関係のない大衆が独裁政権反対を唱えて蜂起したところに特徴があり、想定外の革命といえよう。問題は独裁政権崩壊後、国の秩序や統治をだれの責任においてなされるかにある。長年にわたる独裁政権で民主主義的な手続きとは無縁の大衆が権力の座についても、それを近代国家に収斂してゆくのは簡単なことではなかろう。一難去ってまた一難というのがこれらの国家の命運とならねばよいが。

 ギリシャに端を発したヨーロッパの経済危機はどの様な形で収斂するのであろうか。或いは危機がアメリカに波及し、さらにアジアに及ばないという保証はない。ギリシャだって立派な近代国家である。その近代国家で飛ばしまがいのインチキが国家レベルで行われ、財政破綻となったのであるからまさに想定外の事件といえよう。PIIGSと呼称されるポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペインといった国々の危機が叫ばれている。ユーロの二面性、すなわち金融はヨーロッパ中央銀行が一元管理するも、それと表裏一体であるべき財政政策は個々の国に任されている矛盾が見事に表面化したわけである。

 2011年の想定外の最たるものは「彼」の急死であろう。余命いくばくもないことは分かっていたが、まさかこの年の暮れに急死するとは想定していなかったであろう。日米韓は死亡後二日以上も消息を知らなかった。国民に「肉のスープ」と「白いご飯」を約束しながらついに果たせなかった失政の独裁者である。変化を恐れ、軍事強国で乗り切ろうとしたアナクロ独裁者というべき人物であった。30歳にもならない三男を後継としているが、はたしてどのような施政が展開されるのであろうか。飢えた国民の上に立って核兵器をもてあそぶ危険な国家。日本の頭痛がまた一つ増えたのである。

 想定内と想定外は紙一重であろう。人間は悪いことは想定したがらない。そんな想定を抱いて生きてゆくのは耐え難いのである。そして後からみると、愚かな歴史を繰り返しているように見える。悪いことは想定せず、世の中はなるようにしかならぬとあきらめて暮らすほうが気が楽なのである。

 想定外に振り回された2011年が暮れてゆく。2012年はどういう年になるのであろうか。

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