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エッセイ・コラム

「ながら歩く」族

西川 武彦

 一昔前、バブルの頃だったろうか、エッセイの達人でもある岸恵子さんがエッセイで、買い物袋をぶら下げてシャンゼリゼを歩いている日本人の女性は、すぐ後ろから首を絞められてもわからないくらい無用心です、と嘆いていた。あきれていたのかもしれない。
 バブルが弾けて20年も経った今、呆けたままの日本人は、今度はそれに加えて携帯やスマートフォン?を手で操作し、耳から補聴器ならぬイアフォンをぶら下げて歩いている。この連中を「ながら歩く族」というらしい。一心不乱なのだ。受験だって、就活だって、これほどの集中力で努力すれば叶うであろう。

 自分だけが無用心でひったくりに会ったり、横道に連れ込まれるのはよいが、「ながら歩く族」が混み合った駅で歩いていると、歩行者が迷惑する。お構いなしなのだ。廻りの人々が急いでいようと関係なし。時には突然立ち止まるから危ない。反射神経が鈍り、足元が覚束ない高齢者には厄介極まりないのだ。
「危ないじゃないか」というと、「なんだこのクソ爺…」といいたげな冷たい視線が返ってくる。それならまだよい。きょとんとした表情で振り返るから嫌だ。もっともそれ以上関わると、突如ナイフを取り出し、切りつけかねないから怖い。
 余りに腹立たしいので、震災に備えていろいろ詰め込み右肩に掛けている重たいショルダーバッグをぶつけてやることもある。すると、大抵の場合、「すみません」という声が返ってくるから可笑しい。良心が咎めるところが少しはあるらしいのだ。

 行動もそうだが、言葉も酷い。もう十年にもなるだろうか、「ら抜き」言葉が溢れ、今やいい歳した女性まで、「食べれる」なんてやっているから情けない。しかもなぜか間延びした甘ったるい口調で話すから堪らない。
 一見したところは熟女で、悩ましい腰の動き。高齢者のどこかをくすぐる。ところが、それが街中で知り合いの女性に出会うと、こんな会話になる。
「あそこのスーパーでね、これ売ってたの、この間も買ったのだけど、結構食べれるよ」
「あら可愛い!!」

 どじょうさま、なんとかなりませんかね、これ……。

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