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エッセイ・コラム

夏目漱石の足跡を訪ねて

都甲 昌利

 先月、新聞で松岡陽子マックレインさんの訃報が伝えられた。小さく報じられていたが、彼女は夏目漱石の孫娘で『孫娘から見た漱石』などの著書があり、彼女こそ戦災で焼失した牛込にあった「漱石山房」の一部を再現させた立役者なのである。

 私の住んでいる所は東京・新宿区で漱石にゆかりのあるまちだ。夏目漱石が生まれ育ち、その生涯を閉じたまちである。漱石(本名 金之助)は早稲田・喜久井町で生まれた。そして晩年の没する(大正5年)までの9年間を早稲田南町の「漱石山房」と呼ばれる家で暮らした。惜しくも戦災で焼失したが、跡地に新宿区立漱石公園となり「漱石山房」の一部が再現されているというので訪れて見た。

 「漱石公園」は都営地下鉄・大江戸線の牛込柳町駅から徒歩約15分のところ。門をはいるとまず目につくのは漱石の胸像である。脇に「則天去私」と刻まれている。更に正面に「道草案」という建物があり、ここに消失前の「漱石山房」の鳥瞰図がある。これによると書斎(8畳洋間)、8畳の客間、居間、暖炉がある8畳の茶の間、子供部屋(6畳)台所、女中部屋、ベランダ式回廊などがありかなり豪邸だったことが窺える。

 案内人の説明によると、『虞美人草』、『三四郎』、『それから』、『門』、『硝子戸の中』、『道草』などがここで書かれたという。『明暗』を執筆中に、持病の胃潰瘍が悪化し大正5年12月に死去。雑司ヶ谷墓地に埋葬されたという。

 漱石は功なり名を遂げたので訪問客が多くなり、他界する10年前から面会日を週1日木曜日に決めた。弟子たちがこれを「木曜会」名付けた。集まった常連客は、高浜虚子、寺田寅彦、森田草平、鈴木三重吉、阿部次郎、少し遅れて安倍能成、野上豊一郎、内田百閒岩波茂雄、更に『新思潮』の芥川龍之介、久米正雄、菊池寛、松岡譲らが出席するようになった。凄い求心力である。日本の知性がすべて「漱石山房」に集まった感がある。現代にこのような錚々たる人物を集めた会があるのだろうか。

 雑司ヶ谷の漱石のお墓もお参りした。都営荒川線・雑司ヶ谷駅で下車し案内に従って歩くこと5~6分。高さ2m位の花崗岩の堂々とした墓石だ。形は安楽椅子を模したという少し斜めになっている。戒名は「文献院古道漱石居士」と刻まれ漱石にふさわしい。花束も絶えず訪れるファンも多く漱石の偉大さも物語っていた。

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