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エッセイ・コラム

補聴器をつけて探った虫の声-隠居のつぶやき

西川 武彦

 年が明けると例年、半日の人間ドックに入る。経年劣化の検査、車でいえば車検である。
 数年来、聴力テストで毎回引っ掛かる。何か言われるのだ。今年もそうだった。
 「最近、聴こえにくくなったといわれません?」
 若い女性の検査官が、優しい声で、覗き込むように問いかける。眼力テストは、片目を隠して、段階的に小さくなる円の上下左右どこが開いているかを指摘させたり、平仮名が読める、読めないでチェックされる。本人も遠方のボードを見ながら、結果がすぐ分かるから納得する。ところが、聴力の方は、高低の音をかなりのスピードで上下させ、聴こえれば反射的にボタンを押す方式である。反射神経が鈍っているから押し間違える。慌てて二度も押してしまう。なによりも、結果が眼に見えないから不安である。
 とはいえ、検査官からそういわれると、いくつか思い当たる。テレビの音量は連れ合いが選ぶ度数では上手く聴き取れないことがままある。
 「今なんて言ったのだ」と、頻繁に訊くので嫌がられる。BBCやCNNではあるまいし、NHKのニュースでそうなのだから情けない。甘い韓ドラだって興ざめする。

 趣味のヴォーカル・カルテットも、音程の微妙なずれに気がつかなくなっていたようだ。
 少し年上のバリトンが、二年前に後期高齢者入りする頃から音が狂い始め、筆者はそれとなく指摘していた。その後輩が、知らぬ間に先輩に追随していたのだ。年下のテノール二人の渋い顔でそれと気付く。
 セミプロと自負し、会費を頂戴して聴いて頂くから、たとえ半音でも美しいハーモニーを乱すわけにはいかない。補聴器に頼るわけにもいくまい。お互いを傷つけないよう配慮しながら、「そろそろラストコンサートですかな……」ということになって、今春解散した。

 今年のドックでは、大腸にポリープも見つかった。想定外のような夏が終わり、やや落ち着いた10月を待って、入院、切除。小振りなスーツケースをガラガラ曳いて、二泊三日のちょっとした一人旅の気分だ。
 看護師、看護補助員、配膳・清掃係り、受付…、いずれも若い女性だ。熟年もいるが、こちらはまもなく後期高齢者だから、文句はいえまい。加藤茶気取り。ニコニコ顔で接する。手術費と入院費は、たっぷり払ってきた医療保険でお釣りがくるかもしれない。振込先はしっかりと自分の口座に。これを元手に、さりげなく名刺を渡して笑顔を交わした受付のMさんを誘って食事でもするか……。怪しげな隠居が呟いている。

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