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エッセイ・コラム 随想

枯草のざわめき:トマト追想

濱田 優(ゆたか)

 梅雨が明け、夏野菜が旬の時季になった。
 といっても、このごろはキュウリもナスもトマトも通年店に並んでおり、取り立て季節の野菜を意識することもない。食卓には年中同じような野菜の料理がのぼり季節感は薄れた。

 昔は、季節に先駆ける〈走り〉が店頭に現れ、だがとても高くて手が出ない躊躇(ためら)いときを経て、やっと旬の野菜にありつけた。
 それだけに望みが叶ってそれを口にしたときは、ことのほか美味しかった、といいたいところ。だが、昔の夏野菜はそれぞれに固有の癖があり、万人に優しいわけではなかった。キュウリには棘があったし、苦味が残っていた。その苦味を和らげようと、お呪(まじな)いみたいに頭部を切り、切り口を擦り合わせたことを憶えている。ナスにはあくがあったから切るとすぐ水に晒した。

 ことにトマトは、野生種の名残か、独特の臭みがあり酸味が強くて大人でも食べられない人がいた。ましてや、総じて野菜嫌い子どもにはトマトは難物で、ニンジンとともに食べ残しては、親に「滋養があるから食べなくてはいけません」とたしなめられたものである。
 幸いぼくは、子どものころからトマトの青臭さや酸っぱさが嫌いではなかった。盛夏の、露地物が出まわるころは、真っ赤なトマトを流しっ放しの水道水で冷やし、塩を振っておやつ代わりに丸かじりしたことを、そして大きなトマトに噛みついたとき赤い果汁が飛び出して服を汚したことを懐かしく思い出す。

 都会育ちにしては、ぼくは新鮮な野菜に恵まれていたといえる。敗戦後ほどない小・中学生のころ、母は千葉から来る行商のオバサンから野菜を買っていた。小さな身体の彼女が野菜を詰めた篭を何段も積み重ねて背負い、その後ろ姿はまるで篭が歩いているみたいで面白かった。
 その日朝採りした野菜をそのまま担いで来るのだから、オバサンの野菜は市場を通って店先に並んだものと鮮度が違う。ことに畑で完熟したトマトは、いかにも太陽の恵みの賜物のようで味が濃く美味しかった。

 イタリア料理がまだ馴染み薄かった当時、トマトは生食以外の料理法はほとんどなく、大量に出回るころになると持て余す。そんなとき母はトマトを炒めて一品の料理を作った。作り方は至って簡単。フライパンに油を敷き、トマトをざく切りにして炒め、溶き卵を流し込んで塩、コショウで味を調えるだけ。トマトの酸味が効いて美味しい。ぼくはこれが大好きで自分でも作ってよく食べた。最近、この料理を「トマタマ」と呼ぶと聞いたが、ぼくは勝手に「イタトマ」と名付けていた。同名のカフェレストランから話があれば商標を譲ってもいい。

 あれから数十年、スーパーなどの店に並ぶ野菜や果物は往時と変り、見た目がよく、苦味やえぐ味はほとんどなくなり、嫌な臭いも薄れ食べ易くなった。最近の調査(注)では、子どもが好きな野菜の1位はトマトで2位以下を大きく引き離し、キュウリ、ニンジン……と続くという。トマトが好きな理由は独特の甘みで果物感覚というから、ぼくが昔食べたトマトとは別物だ。

 子どもがトマト好きになったのは結構な話だが、その反面で、トマトばかりでなく、このごろの野菜が総じて水っぽく味が薄くなったのはいただけない。栄養価も大幅に下がり、成分表によるとトマトのビタミンCは50年前の半分、鉄分に至っては同1/25に減っている。「健康のためにもっと野菜を採ろう」というキャンペーンと矛盾するのではないか。

 野菜は嗜好品ではない。夏野菜は酷暑を乗り切るために必要なビタミンやミネラルを摂りいれる貴重な栄養源だ。夏の光と大地の養分を十分吸収して充実した野菜から生き生きとした自然のいのちをいただく。そのためには、その野菜の特性と折り合いをつける、多少の労を厭(いと)うてはなるまい。
 見目好く癖のない野菜を作ることに傾斜している今の日本の品種改良の方向は、コマーシャリズムに偏り過ぎているのではないか。世界の各地を歩くと、見てくれは悪いが食べると意外に味がよい野菜や果物に出合うとよく聞く。

 老人の感傷だけで、昔の野菜を懐かしがっているのではない。このままでは、栄養不良の野菜とともに、この国の将来を担う子どもや若者たちのバイタリティが衰えるのではないか、と強く懸念しているのだ。

 注 2010年8月、野菜の日(8月31日)に向けたバンダイの調査結果。

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