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エッセイ・コラム 随想

枯草のざわめき:ビバ! 百均

濱田 優(ゆたか)

 通りがかりに、もしやと思って百円ショップをのぞいたら、あった!
 今しがた入院した家人の枕元に置く時計である。忘れたから取ってきてといわれ、しぶしぶ家に向かうところだった。

 手頃の大きさでアラームはもちろん、ランプまで付いている。病院でアラームを鳴らすことはまずないが、消灯時間の早いのでランプは欲しい。さすがにボディのプラスチックは薄っぺらで安っぽく、精度保証もないけれど一応クオーツだ。入院中使えればそれで充分。なにしろバス代片道料金のそのまた半額なのだから。
 それから二ケ月、家人が家に戻ってからもその時計は元気に動いている。難をいえば針音がやや大きいことだけど神経質でなければ使える。

 この店の時計コーナーには掛時計(直径20センチのシンプルな円形)も腕時計(これはちゃっちい)も置いてあってビックリした。だが、いくら実用機能はあるとわかっても、急場の間に合わせ以外にここで時計を買う気はしない。時計には、子供のころから数多の思い出があり、文明の利器にしてなお我が人生の文化財といった趣もるものね。

 私は以前から「百円ショップ」といっていたが、娘に聞くと、そこの常連の主婦仲間では「百均」というそうだ。で、以降ご常連に倣って百均と呼ぶ。

 私が百均の有難味を最も感じるのは子ども用品。孫たちが来るたびに、オモチャ、ぬりえ、クレヨン、折り紙、教育玩具などを一緒に買いに行く。成長に伴って興味の対象が変わるので家に来るたびに新たに買うけれど、ここなら「何でも欲しいものを買ってあげる」といっても高が知れている。百均のお陰で安心して太っ腹なおじいちゃんを演じられるのだ。それに最近は子どもが喜ぶデズニーやサンリオなどのキャラクター商品が並び、このコーナーはキラキラ華やいでいる。百均の実力を認めたブランドメーカーが一部とはいえ人気キャラクターの使用権を認めたのだろう。
 息子や娘が小さいころはまだ百均が普及しておらず、オモチャ屋が子どものワンダーランドだった。子ども用品は親心につけ込んでなべて高い。そこに連れて行ったはいいが、親の懐具合を知らない子どもに高いオモチャをねだられたらどうしよう、とハラハラしたものである。

 自分が使うものでは、文房具、電子機器周りの小物、容器類、日用雑貨の諸々をよく買う。百均に行く訳は、もちろん安いということが一番だけれどそれだけではない。安いだけなら筆記用具や日用雑貨の中にはディスカントストアーに行けば80円くらいで買えるメーカー品も混じっている。
 品揃えが豊富なことが魅力の一つだ。百均に行けば何でもあるだけでなく、少し大きな店ならバリエーションも充実している。例えば、絆創膏一つとっても、大判、防水、指先用など用途別に何種類も置いてある。標準サイズに比べて割高でも、ここならなら価格は同じ、枚数が減るだけなので買いやすい。
 百均はまたアイディア商品の宝庫だ。日用品の周辺にあったら便利そうな小物を見つけると買ってみたくなる。アイディア倒れで実用にならない商品もままあるが、お愛嬌だ。私は百均に買物に行くと時間が掛る。目的のものを買ってから、「何か面白いものはないかな」と探し回るのが楽しみだからだ。少ないお小遣いを握りしめて、「何かいいものないかな」とわくわくしながら縁日の夜店を見て歩いた子どものころを思い出す。

 今でこそ、小売業の中で百均の地位は高まり、百貨店やスーパーもその集客力を当て込んで百均の常設店を誘致しているほどだが、昔はスーパーの一角を借りて期間限定で店を開く肩身の狭い存在だった。そのころはいかにも安物とわかる商品がほとんど。安物大好き人間の私でさえそこで買うはためらわれた。
 最近は違う。百均の品質は向上し、日用品・消耗品ならスーパーと比べて遜色ないものが増えている。私の娘なぞ、買い物リストを作ったら先ず百均を見て、そこに欲しいものが無かったらスーパーに行くという。それだけ庶民の消費生活の中で百均は大きな地位を占めるようになってきたのだ。

 百均が急成長したこの20年は、バブルが弾けた後日本経済が低迷を続けた「失われた20年」と重なる。百均は不況を追い風に育ったデフレの申し子だ。この大不況の中、さらに国民の負担増は確実というから、ますます経済は縮み「失われた30年」に向かうという悲観論が現実味を帯びてきた。
 老いも若きも先行き不安な庶民の生活。政治は頼りにならないので、せめて百均には頼りがいのある主婦の味方としてこれからも頑張ってほしい。

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