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エッセイ・コラム 日常生活雑感

残古用旧

富岡 喜久雄

 「温故知新」なる四文字熟語はあまり聞かれなくなって久しいが、「断捨離」なる三文字熟語が知られるようになってきた。一見すると意味合いは対極的だが、平たく言えば使えるものは使えと「もったいない」精神復活の意味にとれないこともない。そこでさらに「残古用旧」と造語したら判ってもらえるだろうか。現にある中小企業は震災後膨大に発生した中古車から部品を取り出し海外輸出で稼いでいる。依然として消費は美徳なる経済成長至上主義者の主張もあるが、地球のキャパを考えればこの辺で足踏みが必要だ。さて私事だが先日、車のディーラーから葉書が来た。新車宣伝の写真なのに「十四年目のチェックを」とわざわざ追記がしてあった。いかにも「いい加減にエコな新車を買え」、「買わぬなら修理代と税金が高くなるよ」と言われているようで面白くない。好きで乗っているのだから余計なお世話と腹の虫が納まらない。だいいち今の車は気に入っているし、走行距離が少ないからまだまだ足腰しっかりで、アクセル踏めばグンと出る。乗り手と違ってパワフルで、しかも当方は四十数年来同一ブランドを乗り継いできている愛車家でもある。それに海外赴任で私が不在中の買い換えだったのに妻に変更を許さなかったから、それなら「車も妻も生涯変えないわね」と誓わせられた代物でもある。買い換えどころか永年使用者としてメーカーが表彰して然るべきだと独り言。それを聞いた妻は「テレビにだけでなく、ダイレクト・メールにまで文句をつけるようになったとは、車よりあんたの余命の方が心配だわ」とあきれている。
 かつての日本車はモデルチェンジの度に品質が向上したから買い換えも意味があったが今や安定して、外車以上に信頼感が増している。ベトナム、ラオスで車体がベンツ、エンジンは日本製の車が大手を振っているには驚いたし、ニュージーランドでは、クラシックカーの親子が併走しながら手を振って挨拶したのには感動さえした。エコのためにも使い捨てより、長く使うほうが地球に優しい筈だ。人も車も「新しきのみが良し」ではなかろう。建築資材も然りで、イラクのバビロン遺跡から出る日干し煉瓦は、工場製の最近のレンガより強度があるから高く売れる。それで盗掘が多くて困ったと聞いたものだ。企業OBの力も使えるところがあるだろう。筋肉仕事は油圧機構が代わってくれるし、記憶の衰えはHDやSDカードが助けてくれる。でも肝心の頭脳機能であるOSのヴァージョン・アップはどうだろうかは保障の限りではない。それが心配だ。

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