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エッセイ・コラム 日常生活雑感

我が家の防災対策

田谷 英浩

 防災を真剣に考えはじめたのは、17年前の阪神淡路大震災の際、神戸は摂津本山に住む友人の家が地震の直撃を受けて崩壊してからである。その友人の家は、高級住宅街の中でも一際目立つがっしりした造りの和風の建物であったが、見るからに重い屋根瓦に押し潰されてしまった。
 幸い本人たちはベッドで寝ていて、落ちてきた天井とベッドの間に出来た僅かな空間に助けられ、一命を取りとめたものの、後日この惨状をわが目で見て、地震対策の必要性を強く認識した。
 そこで、我が家がまず行ったのは、重い屋根瓦を全面的に軽量鉄板葺きに改修したことである。外見上は安っぽい印象になってしまったが、そんなことは言っていられない。

 次いで4年前に発生した能登半島地震で、家屋の倒壊と火災発生が比例することを知り、市の制度を利用して耐震診断を行い、耐震補強工事を実施した。
 診断の結果、築後45年の我が家は基礎部分に不安はないものの、南北方向に弱い構造という結果が出された。そこで計算上、「倒壊する可能性がある」を「一応倒壊しない」レベルまで補強した。工期は二週間、新たに柱を建て、部厚い構造用合板を嵌め込こんで家の内部を補強するとともに、屋根裏には斜材と金物、床下には振れ止めを取り付けて耐震性を高めたのだ。

 三つ目は、数年前から我が家の防災の日を定めて、独自の訓練を行っていることである。日にちは一月の第二日曜日。特別の意味はない。この頃になると正月気分が抜けて、色々な活動が将に始まろうとする時、今年もしっかりやろうという意味である。
 午前中、非常持出用のリュックサックを開けて、非常食、水、懐中電灯、ラジオ、下着、靴、薬、小銭、ロープなどを取り出し点検する。そしてその日の昼食と夜食は前年詰めたレトルト食品とペットボトルの水だけで済ますことにしている。
 しかしこれら何れの対策も、今般のような大規模災害には全く無力であることが分った。そこでどうするか。悩みは深い。

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