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エッセイ・コラム 体験記・紀行文

地震の記憶

金京 法一

 戦中戦後の子供時代に、大地震を経験した。一つは東海地震と呼ばれたもので、午後小学校の授業が終わって校庭を歩いていた時に襲ってきた。校庭がまるで海面のようにうねり、木造二階建ての校舎が飴のように歪み、引き戸式の窓が開いたり閉ったりしていた。大急ぎで帰宅すると、家の中は足の踏み場もないくらいにものが散乱し、一部の土壁が剥がれ落ちていた。

 もう一つの大地震は南海地震と呼ばれたもので、戦後間もないころに起きた。時刻は夜中で、物凄い揺れにとび起き、二階の物干し場に出たが、空には雷光のような光が走り、轟音と共に近くの日本板硝子工場の煙突が二本火花を散らして倒れた。翌朝外に出てみると庭や道路のあちこちで亀裂ができ、泥水が吹き出ていた。液状化現象である。

 日本は地震国と言われているが、意外に地震は色々な国で起こっている。オーストラリアで地震があるなど信じられないかも知れないが、現実に体験した。東部のシドニー近くの小さな町で局所的な地震が起こった。振動はシドニーの36階建てのビルの最上階でもはっきり感じられた。もっとも大半のオーストラリア人スタッフは気がつかなかったらしく、地震には敏感で緊張する筆者を怪訝な顔で眺めていた。

 数年前のことであるが、新潟地震の際に奇妙な経験をした。NHKホールでの音楽会であったが、開演直前あの巨大ホールがみしみしと揺れた。演奏は予定どうり始められたが、途中余震らしきものがあり、ホールは再びみしみしと揺れた。演奏は中断なく続けられたが、前半が終わったところで、指揮者は聴衆に一礼すると大急ぎで舞台を去り、拍手にもかかわらず再び舞台に現れるとこがなかった。やがてアナウンスがあり、指揮者が負傷のため後半はコンサートマスターの引き振りで(指揮者なしで、コンサートマスターが演奏の傍ら指揮もやるという奏法)やるという。かなりの難曲にもかかわらずNHK交響楽団の腕は確かであった。ロシア生まれの指揮者は地震などほとんど経験がなく、異様な雰囲気の中で指揮棒で手のひらを突き刺してしまったらしい。

 色々な天災地変の中で地震が一番人間の無力を感じさせる出来事である。人間の予想や心構えをあざ笑うかのように突然何の前触れもなく襲ってくる。人間は守る手だてをほとんど持っていない。東北の太平洋岸は津波に弱いとは昔から言われてきたし、そこに住む人々もある程度の自衛策を考えていたはずである。しかしあんな津波が来るとは予想もできず、ずっと平和に暮らしてきたのである。なんという不運であろうか。犠牲になられた方々に対するお悔やみの言葉も見つからない。

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