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エッセイ・コラム 政治・経済・社会

大学入試センター試験

浜田 道雄

 毎年、今頃になると「大学入試センター試験」が行われ、その問題が新聞に掲載される。これまではまったく興味がなかったので、一度もその問題を見たことがなかった。だが、孫も中学生になって受験年齢に近づいたと思ったのか、今年はそれがどんな問題なのか、見てみようという気になった。

 まず手始めにと、「英語」にとりかかってみたが、これがいけない。最初から引っかかってしまった。筆記試験の第一問は、4つのwordをあげて、下線部分の「発音」が違うものを一つだけ選べというもので、一番目は ① boast ② couch ③ glow ④ toe から選ばねばならない。

 これが、やってみると結構難しい。答えは②だろう、と見当はつくのだが、自信がない。ひとつ、ひとつ口の中で反芻していると、かえって迷ってしまうのだ。その次の、やはり4つのwordからアクセントの違うもの一つを選べという問題も、結果は似たようなものだ。やはり、「え?これでよかったかな?」と迷う。

 私はすっかり考え込んでしまった。これまで在外公館や国連機関で、何年か仕事をしてきた。そこでのコミュニケーションはすべて英語だったから、当然英語で資料や論文、報告書を読み、書き、またセミナーや会議で議論をした。だから、少なくとも英語には、流暢とまではいかなくても、仕事に困らない程度には慣れていると思っていたのだ。それが、いまこの問題で迷っている。この4つのwordだって、これまで何度となく使っているし、発音している。それなのに、なぜこんなに迷ってしまうだろうか?

 その理由はすぐに分かった。それは、これまで私がこれらのwordを単独で使ったことはく、必ず会話や文章の要素として使っていたからだと。boastやcouchが、例えば“He used to boast that he managed ten people.”や“Many false claims are couched in scientific jargon.”と文章で出てくれば、その発音やアクセントに迷うことはない。

 だいたい、言葉は一つだけで機能するものではなく、他の言葉と繋がって文章となり、会話に使われて、はじめて一つの考えを表したり、また発音されたりするものだ。それを文章から切り離して、「その発音は?」などと尋ねて、どうするんだろう? そんな無用なシチュエーションを使って、「大学入試センター」は受験生のどんな能力を判断しようというのだろうか。

 とはいえ、60年近く前受験生だったとき、私もこのいわゆる単語問題を必死になって覚え、勉強した。だが、その努力はその後の人生ではまったく活かされなかったし、報われることもなかったと思っている。書きものをし、人と議論をしているときに、いちいちwordの発音なんか、気にしていられないじゃないか!

 語学の力を筆記試験で測ろうとするならば、文章を読ませ、書かせることしかない。カエルの跳躍力を測るのに、カエルの身体の成分だからと、タンパク質や脂肪を調べたってしょうがないだろう。

 この問題に手こずった腹いせもあってか、私はそう毒づいた。そして、もうそのあとの問題を見る気はなくなり、新聞を投げ出した。

 ここで、誤解を避けるために、最後にもう一言付け加えておこう。

 私は、ここで言葉の発音や話し方はどうでもいい、といっているつもりはない。どの言語であれ、言葉を正しく使い、正しく発音することは、日常生活には必要なことだ。英語にだって敬語や丁寧語がある。だから、その使い方で人のバックグラウンドが判断されることになる。間違った言葉を使い、間違った発音で話をしていれば、自分の人格や教養の程度、育ちまでも誤解されてしまうのだ。

 言葉は正しく使い、きれいに発音された方がいい。だが、それはあくまでも会話や文章といった「言葉の流れ」のなかでのことをいうのであって、この試験問題のように文章から切り離された「言葉」の「知識」の正確さをいうのではない。

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