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エッセイ・コラム 日常生活雑感

高齢者講習風景

西川 武彦

 昨年12月初め、70歳以上で運転免許を更新するのに必要な高齢者講習を受けた。運転し始めてから半世紀近くなるが、当時日本での教習は多大な費用に加えて、先生の態度が悪いことで知られていた。筆者はこれを嫌い、ワイキキで悪友のギアなしフォードを借りて、一夜漬けで国際免許をとり、帰国後、日本の免許に書き換えて現在にいたっている。構造も法規も知らぬいかさま運転手である。学生時代に日本で免許をとった老妻から運転のたびにくそみそに貶され、喧嘩の種になっている。講習で落とされることはないと聞いてはいたが、試験通知をうけて教習所の予約をとって以来、心穏やかならぬ日々が続いた。

 当日は北風の吹く寒い日だった。身体が硬直せぬよう厚着し、大き目のホカロンを腰に貼って恐る恐る教習所に出向く。杉並にある日通自動車校で、歴史が古く、施設もなぜか暖かそうな感じだったので選んだ。動物的勘は当たった。案内の女性も、教習員の男性もスマートな笑顔と態度で優しい。生徒は三人。一人はNさんといい、コーヒー豆の輸入業者で、仕事でも運転しているという。今一人はTさんで企業OB。30歳までは営業で運転していたが、それ以来、車に触っていないそうで、お孫さんと遊園地で乗ったり、街のゲーム場で模擬運転している程度らしい。筆者は現役引退後、週二回は遠出している。机に並んだ三人の老人は、早速、自己紹介でアイスブレークした。年の功であろう、笑い声で緊張感がほぐれたところに先生が登場。午前9時から三時間の講習が始まった。

 まず座学。安全運転の知識・最新のルールを画像を観ながらの講義が一時間。構造の講義はない。ついで、運転適性の診断・指導。普通の視力テストに加えて、視野測定というのがあった。運転席からどれだけ広く景色を捉えているかを調べる。両眼の視野角度は160度ほどで、60代の平均値で問題なし。175度が平均値の30代に比べれば、かなり衰えてはいる。三人とも誉められて安堵感が漂う。次は運転行動の診断。大きな画面に、車・バイク・自転車・歩行者がいろんな状況で現われるのを、ハンドルやブレーキの操作で避ける。判断力と瞬発力のテストだ。普段運転している筆者とNさんが平均的出来なのに、40年間車を運転していないTさんが頑張った。運転適正診断表4項目の何れも平均値を上回っている。ゲームで鍛えているのが効いたのだろうか。指示があるや否や、「ガタン、バタン」といった音を響かせながら、激しくブレーキを踏んでいた。そういうのが成績が良いのはいかがなものかと、気の弱い老人が呟く。

 最後は、一人15分程度の実技。教習所内に設置された模擬道路を時速30キロで走る。S字あり、車庫入れあり。仮免の連中もちらほらいるが、ぎこちない。心なしか優越感で和む。ここでは今でも乗っている筆者とNさんは全く問題なく終わった。最後はTさん。緊張感で汗ばんでいる。シートベルトをするのもぎこちない。座席やミラーの調整など上の空だ。とにかく動かし始めたが、急発進、急ブレーキの繰り返しで、同乗者は勿論、先生の顔色も青ざめて固い。それでも何とか終了。落第はないのである。教室に戻って、青ざめた顔に生気が戻った先生から、にこやかに、全員に「卒業証書」が授与された。最後に柔らかく一言。

 「これで免許は更新できますが、運転する必要がないなら、『運転免許証の自主返納制度もありますよ」

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