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エッセイ・コラム 体験記・紀行文

わたしの考古学

田谷 英浩

考古学に携わったというとおこがましいが、大学のサークル活動で遺跡の発掘調査に加わったことが何度かある。道路工事や宅地造成の折、遺跡らしいものが発見されると、都道府県の教育委員会は、つながりの深い大学の研究室に連絡するのが当時慣例のようだった。
大学で考古学なぞを専攻する学生数は、たかが知れているので、先生は人工(にんく)としてサークルの学生の「数」を頼りにする。我々の方も、所詮宝探しの域を出ないのは承知しているが、歌を唄ったり、バンドをやるより、いくらかアカデミックな活動という気持ちもあり結構人気のサークルであった。古代のロマンに魅せられるのか、女子学生の参加も意外に多かった。
炎天下、特に夏休みの作業が多く、実際は知的な「学」というより汗まみれ泥だらけの「土方作業」であった。が、長期間の発掘作業は、先輩、後輩の運動部的ケジメや同期生の連帯感を生み出し、この合宿生活で得られたものは限りなく大きい。一部の学生を除いて、学問的成果は皆無に等しかったけれど、酒を覚えたのもこの頃である。

伊豆大仁町、鳥取県岩美町など幾つもの発掘に参加したが、特に印象に残るのは新潟県十日町で行われた縄文時代の集落址の発掘であった。信濃川の河岸段丘の上、260mで発見された小坂遺跡はBC3世紀頃のものと考えられ、炉と柱址が見付かり、炉の周辺からはリンゴ箱で25箱の土器類が出土した。
発掘終了の夜、出土された住居址の中央部で赤く焼けた土と炉を囲み、連日作業を手伝ってくれた地元青年団員と茶碗酒を酌み交わしながら語りあった。5,000年前この炉を囲んで、人間たちは何を考え、何を語っていたのかと。今から半世紀も前の懐かしい思い出である。

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