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エッセイ・コラム 日常生活雑感

黄昏どきの風景・国のかたち

西川 武彦

 8年間海外を転々とした長男家族が帰ってきた。上の孫はドバイ産、次はロンドン生まれである。メイドはフィリピーノ、保育園・小学校はとにかく現地校だったから、英語はこちらより本物の発音だ。帰国後のことも考えて「賢母」が日本語の教育もやっていたらしい。両親はナリタエクスプレスで帰し、二人をジジババが成田から車で家まで連れて帰ったが、車の中で早くも面白い発見があった。ジジババと会話するのは日本語を使う。ところが後ろのシートの二人の会話は完璧な英語なのである。ジージも英語は解するし、喋れるから、途中で割り込むと、ジージとはジャパニーズで話すのだ、という。彼らの両親も帰国子女だから、英語も日本語も出来る。

 我が家だけではない。妹の長男はアメリカで博士課程を終えると、彼の一家は米国に住み着いてしまった。子供達には日本語もきちっと教えたから完全にバイリンガルのようだ。こうしたケースが周りにかなりいる。ジャパンも結構国際化しているのであろう。

 筆者が住んでいるシモキタは、芋ネーチャン・芋ニイチャンがたむろす可笑しな町だが、結構外国人には人気あるらしい。特にコーケシアン(白色人種)が多い。なぜだか分からないが、ごちゃごちゃして自由なところが受けるのかも。

 筆者は隔週で新大久保の会合に出かけるが、そこは韓国である。同じような顔かたちの男女は殆どが韓国語である。店の看板もハングル。懐かしいソウルの裏町の雰囲気が漂っている。渋谷の繁華街、新宿の歌舞伎町、かの有名なアキバ・・・。日本人と見紛う男女が喋るのは、広東語、北京語、韓国語、タイ語・・・である。それが自然に行なわれている。昨夜、引っ越しを終えた長男家族とファミレスで夕食を済ませた。隣りのテーブルの親子三人は同じ顔つきながら知らないアジア系の言葉を喋っていた。外国人の入国規制、ヴィザ、彼らを阻む壁は揺らぎながらもまだあるらしいが、二十年前と比べると隔世の感がある。いずれその壁が崩れて同化してしまうような感じがある。それを見越して国の姿、国の形をどこに求めるか。黄昏どきを迎えた隠居に二十年後を見届けるのは容易ではないが、興味深々で眺めながら今少し生き長らえるかと呟いている。

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