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エッセイ・コラム 随想

枯草のざわめき;「青い憧憬」

濱田 優(ゆたか)

 時たまジャズのLPレコードをかけている店に行く。
 巷間よく聞く「CDより音質の良いLP」を聴きたいから、ではない。多感だった若いころの思い出はLPに詰まっているのに、それを再生するソフトもハードも処分して家にはないから出掛けるのである。レトロな雰囲気の店で古いジャズを聴きながら過ぎ去った日々に思いを馳せる――。この話もそんな懐かしくもほろ苦い思い出の一つである。

 赤坂は、あのデヴィ夫人が働いていた高級ナイトクラブ「コパカバーナ」のすぐ近くに、小さな喫茶店「純喫茶G」があった。そこは、女子供が好む甘味喫茶とは一線を画した、大人向きのシックな佇まいの珈琲専門店である。
 昭和三十年代のはじめ、大学生になりたてのぼくがGに繁々と通ったのは、なにを隠そうそこのママに惹かれたためだ。彼女は日本人離れした彫りの深い顔の、当時の人気女優ダニエル・ダリュウーを髣髴させる、謎めいた雰囲気を纏った女だった。ママと較べるとこれまで付き合った女友達はまるでガキにみえる。

 いつ行っても客は少なく、せいぜい一組か二組だけ。商売気のないママが趣味でやっている店といった感じだ。当時は一般の家庭には普及していない高価なステレオ装置を置き、モダンジャズのLPやEPレコードをかけて自分で楽しんでいた。
 一人で行ったときはカウンターでママと話すが、これが楽しみというか、苦痛というか。彼女の前では緊張してぎこちなくなり、言葉が途切れると話の接ぎ穂を見つけられない。なんとか彼女と語り合う共通の話題を持ちたい。その一心でそれまで敬遠していた洋物のポップスやジャズを聴きはじめた。

 取っ付きにくかったジャズも聴きなれると独特のリズムが病みつきになる。そのうちラジオやレコードで聞くだけでは物足りなくなり、銀座のジャズ喫茶「テネシー」や「美松」のライブを聴きにいった。家庭教師のバイトをしている学生の身としてはかなり無理をして。おかげでママと語る話題に事欠かなくなり、だいぶ二人は打ち解けてきた。

 ジャズだけでなく、コーヒーのトリビアも教わった。あるとき、コーヒー通を真似てブラックで飲もうとしたが、苦くて不味い。思わず顔をしかめた。
「煎じ薬じゃないんだから、無理しないでミルクもお砂糖も入れていいのよ」
 ぼくの顔を見たママはおかしそうに笑う。それでいつものとおりにすると、
「でもね、順序は逆。先にお砂糖を入れてよく溶かしてから、ミルクをそっと注ぐの」と指摘された。
 いわれてみると理に適っている。温度が高い方が砂糖の溶解度は高く、ミルクを入れてから攪拌すると乳脂肪が分離する。ぼくは理系なのに迂闊だった。

 Gに通いはじめて半年くらい経った頃には、他の客がいないときは聴きたいレコードを好きにかけさせてもらえるほどの親しさになった。貴重なLPを傷つけないように、針を下ろすときは息を詰めて慎重に操作したものである。

 ところがある日、仲間と三人で店に入ると、ママの態度がいつになくよそよそしい。気が付くと、カウンター席にいる先客の中年男が、胡散臭そうにぼくらをチラチラうかがい見ては、声を細めてママと話している。無国籍の日活活劇の悪役にいそうな男で趣味の悪い服装をしていた。
 店を出るとすぐ、一番世長けた友だちが口を切った。
「あの二人は訳ありだ」
「パトロン面したあの男、感じ悪いね」
 もう一人がレッテルを貼る。

 しかし、どう考えてもあの男にママはそぐわない。仲間の見立ては下衆の勘ぐりだろう。ぼくはそう考えて、その後二、三度Gに行ったが、あの脂ぎった男の顔がちらついて落ち着かない。と、いって、あの男のことを聞くに聞けず――、自分で勝手にわだかまりを作った。せっかく近づいたのに、また大きな隔たりができて彼女は遠い存在になったような気がする。満ちた潮が引くようにぼくの足はGから遠のいた。

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