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「800字文学館」

豪徳寺はどこ

塚田 實

 幕末の英雄を訪ねて、松陰神社経由豪徳寺まで歩いた。
 我が家からまっすぐ北に行くと、約一・五キロで松陰神社だ。吉田松陰は安政の大獄に連座して投獄され、安政六年(一八五九年)十月刑死した。四年後の一八六三年高杉晋作や伊藤博文など門下生が、現在の世田谷区若林の地に改葬し、一八八二年神社が創建された。
 一方、安政の大獄を主導した井伊直弼の墓は、松陰神社の西約一キロの豪徳寺境内にあり、歴代彦根藩主墓所の一角に立っている。

 松陰神社から豪徳寺までは近いので、わざわざ遠回りして、烏山川緑道経由行くことにした。道に迷ってはいけないので、グーグルマップのナビ機能を使い、アイフォンのエアポッド(無線イヤホン)を利用して道案内をしてもらう。緑道は烏山川が暗渠化されて比較的広い道になっていて、歩いていると鳥の鳴き声も聞こえてくる。
「目的地に到着しました」と音がでて、案内を終了しますという。ところが、そこは住宅街の真ん中で、どこにも豪徳寺らしいものはなく、改めてグーグルマップをのぞくと、豪徳寺は南西方向約七百メートル離れたところにある。暫く考えて漸く気付いた。私が目的地としてタップした「豪徳寺」はお寺の「大谿山だいけいざん 豪徳寺」ではなく、「世田谷区豪徳寺」の住居表示の真ん中を指していたのだ。南西方向を眺めると、こんもりとした森が見える。マップの目的地を「豪徳寺山門」にして、気を取り直して再び歩いた。

 豪徳寺の山門を一歩入ると、境内は紅葉の盛りを迎えていて、深紅の葉から黄色まで紅葉のグラデーションが鮮やかに輝いていた。井伊家の墓を目指すと、先ず目に入るのは、沢山の「招まね福ぎ猫児ねこ」が奉納された「招猫殿」だ。豪徳寺は招き猫発祥の地ともいわれている。招き猫と紅葉に包まれた背景の取り合わせが面白い。
 井伊直弼の墓は井伊家墓所の一番奥にあった。日米修好条約に調印し、開国・近代化を強力に推し進めた先駆者の墓に首を垂れて、寺を後にした。

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