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「800字文学館」

今じゃ呼び名も

志村 良知

「シムラ―っ、うしろ、うしろ」が全国区になる前から、呼びやすさゆえに志村姓の人は、ごく親しい少人数の仲間内でも「シムラ」だったと思う。陰で悪口ならともかく、面と向かっては「シムラ」より言いやすい呼び名・あだ名はなかなかない。私も基本的に「シムラ」だったが、環境や年齢でいろいろな呼ばれ方もしてきた。

 子供の頃は周囲に同姓が多かったせいで、中学卒業まで家族、村人、友達の全部から「りょうちゃん」ないし「りょうち」と呼ばれていた。今でも村に帰ると、「どちら様……」というような人からも「りょうちゃん」と普通に呼ばれる。
 高校では同じ中学から行ったのは数人だったため「シムラ」になり、大学を卒業して就職し、社内の職場を渡り歩く実習時代まで続いた。
 正式配属され、実験室で日夜一緒のグループの一番下っ端になると、ら抜きで「シム」「シムちゃん」と呼ばれることになった。先輩に「ムラさん」がいたせいである。
 やがて中堅・ベテランになり、実験室を出て経営企画系の仕事に変わっていき、それにつれて「シム」「シムちゃん」が減り、ラ付きの「シムラ」が戻ってきた。例外は化成品工場の資材部で、新し物好きの部長がCIM (統合購買システム)を熱心に推進していたため、事業企画でその進捗と経費の管理の任にあった私は、資材部のドアを開けると「そら、シムちゃんが来た」と警戒された。
 海外赴任先は敬称の二人称がある国であり、年齢地位もあったので現地人からも「シムラさん」と呼ばれた。秘書さんの独特のイントネーションが心地よかった。フランス人工場長は社長以外の駐在員は全部ファーストネームで呼んだのに、私だけはそれでは発音しにくいせいで「シムラ」だった。

 企業OBペンクラブに入って俳句を始めた。姓の無い庶民の文学俳句ではお互いに名前・俳号で呼びあう。60年ぶりに「りょうちさん」が戻ってきた。いっそ俳号を「良茶」としたらうまくなるかと思っている。

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