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「800字文学館」

読み書きソロバン

大津 隆文

 小学生から中学生の時代、一番熱心に取り組んだのはソロバンの練習だった。当時私の住んでいた地域(名古屋の郊外)では、子供は小学校で九九を覚えるとソロバン塾に通うのが一般的だった。ソロバンが出来ると就職に有利とされ、ソロバン一級で商業高校を出て相互銀行に就職した先輩が、子供達のお手本だった。
 熱心な練習の甲斐あってか私は中学生で一級になり、あちこちの珠算大会に出て優勝も何回かした。人生の輝ける時だった。就職後も仕事で役立つことが多々あった。とくに経済企画庁で経済分析をしていた時代(約五〇年前)には大いに力を発揮した。当時仕事上の数値計算には手回しのタイガー計算機が主力武器で、中には計算尺を使っている人もいた。それよりは自分のソロバンの方が早くて正確と自負していた。子供の頃の努力が報われたと感じた。

 だが間もなく電子計算機が出現した。たちまちにして名刺サイズの電卓にまで進化し、ソロバンの影は急速に薄れていった。それでもソロバンで身についた暗算は何かと力になった。外国旅行で買い物を現金ですると、お釣りの計算に手間取ることが少なくない。彼等もソロバンを習ったらいいのにと思った。
 社会人生活が終わる頃シルバーボランティアに関心を持った。結局自分の持っている能力はソロバンしかない、退職後は海外にソロバンを教えに行こうか。そんな相談を家内にしたら「どうぞ一人で行ってください」と言われ、途端に気持が萎えてしまった。幸い孫とその友達に週一回ソロバンを教える機会ができた。楽しい時間だったが、二年ほどして公文の教室に通うからとご用済みになってしまった。ソロバンは公文に決して負けないと思うのだが。
 昔から「読み書きソロバン」と言うが、幼少時に難しい漢字を覚えたりソロバンの練習をすることが、日本人の能力の発展に大いに役立ってきたと思う。ワープロや電卓は便利だが、基礎的な能力育成には地道な努力、錬磨が不可欠ではなかろうか。

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