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「800字文学館」

マスクとヒシャブ

池田 隆

 長野の山奥から横浜へ9ヶ月ぶりに帰り、運転免許更新のため街に出て地下鉄に乗る。最も近い店でも車で15分かかる山荘暮らしの身では、免許返上もできない。テレビでは見ていたが、コロナ禍が街行く人々の様子を一変させている。
 色々な形や模様の大きなマスクが顔の下半分を覆っている。私も慌てて柄模様のマスクをつける。マスク不足で世の中が騒いでいた頃に、家庭科の授業で雑巾を作ったことを思い出した。皆はなぜ自分で作らないのかと訝しんだものだ。「阿保」前首相に至っては国費で国民全員にチャチなマスクを配る始末。
 私の気持ちを察してか、裁縫得意な母のお祖母ちゃん子だった末娘が手製のマスクを送ってくれた。山荘暮らしでは殆ど不要だったが、やっと役立つ時がきた。だが慣れないせいか、鬱陶しくて敵わない。自宅に着くまでの我慢と耐え忍ぶ。トランプの気持ちもすこし分かった。
 車内はラッシュアワーの筈なのに、立っている乗客の肩が触れ合わない程度の混み方である。皆が静かに前を向き、マスクの上から目だけを出し、じっとスマホを睨んでいる。痴漢に間違われぬよう、男性は両手でつり革を握り、押し合いへし合いしていたコロナ以前の光景とは大違いである。たとえ美貌の女性がいても見分けられない。キョロキョロする要もないのだろう。
 仏国ではイスラム教徒の女性が目だけを出す黒いスカーフ、ヒシャブを気味悪いとの理由で公の場では禁止している。だがテレビで見たパリジェンヌ達もマスク顔だった。自由平等人権もいい加減なものだ。
 ヒジャブは女性を大事に包み、野卑な男性の視線を避けさせる。美醜や年齢に関係なく、「見られる存在」から「見る側」へ、心や知性といった内面価値をより重んじる風習という。着飾り念入りに化粧をして外へ出掛けるのは娼婦のなす業、美しい姿を見せるのは夫や意中の人だけで良いのだ。
「秘すれば花」か。だが車内や街は凍てつき、味も素っ気も消え失せている。

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