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「800字文学館」

池松孝子

 私の通っていた小学校は周囲に農家もあって「農繁期休暇」があった。農家の最も忙しい時期、春先の田植えの頃と秋の稲刈りの頃である。
 猫の手も借りたいそんな農繁期に、小学生が家にいることにどれほどの意味があったのだろうか。しかし、今の子供と違って、当時は子供なりに役目があったのだろう。農家ではなくても三日の休暇はうれしかった。

 そんなある日、広い田んぼの中に祖父母、両親に交じって、級友とその弟らしき二人が農作業をしているのが見えた。田んぼの真ん中に大きな柿の木があって、その周りに大人が刈り取った稲の束を運んだり、積み重ねたりしていたように思う。そこで目にした真っ赤な夕焼け空は、私の「秋の空」であった。夕焼けの中の柿の木は立派な立ち姿で、おっとりした秋景色であった。

 祖母は庭の渋柿の渋抜きをする名人だった。それを「さわし柿」といっていた。後に「さわす」という言葉を知ったのだが、それは湯やアルコールで渋を抜くことをいう。漢字では「とりへん」に「林」と書く。祖母は渋柿にアルコールをかけたり、米糠につけたりしていた。

 また、正月の準備もあったろう。祖母がこたつの横に段ボール一杯の渋柿を置いて、ひとつ、ひとつ渋で手を茶色に染めながら皮を剥いていた姿も懐かしい。

「瓜は大名に剥かせよ。柿は貧乏人に剥かせ」と言っていたのも思い出す。瓜は実の中心が甘い、だから瓜の皮は厚く剥く。柿は皮の下が甘い、だから柿の皮は薄く剥くと。

 最近の渋柿は、炭酸ガスやドライアイスを使って渋抜きしたものが多いそうだ。また、りんごと一緒に密封袋に入れておくと数日で渋が抜けると聞き、やってみたこともある。
 寒くなり霜が降りる頃になると、柿の木には一個か二個、実が残されていて「守り柿」と呼んでいた。来年の豊作を祈るものだと教えられた。食べ物が少なくなる野鳥のために残してあるとも言っていた。なんと優しいことか。

    枝落とし柿の実一つ残しけり          渡邉仁

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