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「800字文学館」

小人の夢あれこれ

大津 隆文

 人生の三分の一は寝ているそうだが、最近の私も寝るのが大きな楽しみで一日八時間は寝ている。幼かった頃一緒に布団に入った祖母が「極楽、極楽」と呟いていた心境が分かる気がする。その間熟睡できるといいのだが、トイレに二、三回起きたりするせいか、眠りは浅くよく夢を見る。悲しいのは楽しい夢よりつまらない夢が多いことだ。
 代表的な例がトイレの夢だ。トイレに行こうと思うのだがなかなか見つからない、いざ入ってみるとひどく汚れていて立ちすくむ、といった類いで本当に情けない。子供の頃おねしょの癖に悩まされたのが今もって「トラウマ」になっているのだろうか。
 それから多いのが進退窮まる夢だ。団体旅行で出発時間が迫っているのに集合場所を思い出せなかったり、引っ越しで最後の収納箱までもう一杯なのに荷物が沢山残っていたり、講演予定が一時間後に迫っているのを突如思い出したりするパターンだ。事前の準備を心懸けている積りなのに、いつもミスを犯してほぞを噛んでいた我が来し方が「再現」されている気がする。

 それでも偶には楽しい夢を見ることもある。マラソン大会で全く疲れず先頭を走っている快感を味わったりする。運動神経に欠けマラソンも苦手だった私の「願望」だろうか。好きだった釣りで大物を釣り上げ、クーラーボックスに収めるのに苦労するのも同じタイプだ。
 歳とともに夢の内容は変わってきた。女性の登場はとんとなくなり、最近は亡くなった友達の「回想」が増えてきた。穏やかな雰囲気で一緒に懐かしいひとときを過ごし、幸せな気分で目が覚める。これがあの世なら悪くはない。
 以前に聞いた話を思い出す。「友達が亡くなるというのは間違いで、友達ではなく君の方が無くなるのだ。彼はいつまでも君の心の中で生きている。他方で君を思ってくれる人がいなくなり、それだけ君の存在が欠落したということだ」と。私もだんだん現実の世界から夢の世界へ、そしてあの世へと移っていく過程にあるのだろう。

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