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「800字文学館」

彼岸花

池松 孝子

 夏も終わるころ、真っ赤に咲いた彼岸花がメディアで紹介される。先日は、彼岸花の花束を愛でる女性がテレビで紹介されていた。私には「微妙」だ。彼岸花には毒があるから触れてはいけないと教えられた。親の死に目に会えないとも。

 それでも、子供にとって野山に自生する燃えるような赤い花は魅力的だ。友達と、彼岸花の茎を、皮だけを残して、数センチにあっち向きこっち向きにポキポキと折り、つながったものをネックレスにして遊んだりした。夏服の首に直接当たる部分の「生」の感触がひやっと冷たく不気味だった。

 六十年も前のこと、倉敷の郊外にある遠縁の葬儀に父母に連れられて行った。その頃、地方ではまだ土葬の慣習があった。墓地に行くと大きな穴が用意されていた。大人たちはそこに棺を下ろし、据えた。そこに男達が土をかけるのだ。これが大人のすることかと子供心に「残酷」の意味を実感した。私は身が縮まる思いで、泣きじゃくりながら母のスカートを掴んでいた。ついにその場にいることに耐えられず、しゃがみこんでしまった。

 その先にあったのが真っ赤に咲き誇る彼岸花の群生であった。私にとって彼岸花は墓地の花なのである。帰宅後、父が「あんな場に、子供を連れて行くんじゃない」と母に言っていたように記憶している。

 先日、藤沢近郊の小川の両岸の彼岸花が見ごろだからと友人に誘われた。しかし「快諾」とはいかなかった。子供の頃の「刷り込み」からはなかなか抜けられないもののようで、彼岸花はどうしても鑑賞するという気持ちにはなれない。熱心な誘いに断り切れず付き合って出かけたものの、私にはなんとも後味の悪い散策となった。

 後に人吉出身の友人にこのことを話した。彼岸花への思いは全く同じで、理解し合え、幼いころの経験を共感できる幸せがありがたかった。

 そんな中、美智子皇后(当時)の御歌に感じいった。

彼岸花咲ける間の道をゆく行き極まれば母にあうらし

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