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「800字文学館」

バチは当たるか

大津 隆文

「バチがあたることがあるかどうか」という世論調査を読売新聞社が実施、結果が八月に発表された。それによると、七六%が「バチがあたる」と肯定しており予想外に高い。さらに意外なのは、この比率は五六年前調査時の四一%から大幅に上昇していることと、年齢別に見ると六〇歳代以上より若い世代の方が高いことだ。
 記者の解説では、社会の不公正が高まっておりとくに若い世代ほど不満が募っているせいではないか、また「バチがあたる」を「バチがあたれ」という処罰要求と読み替えることもできるとしている。
 子供の頃、祖母から食べ物を粗末にしたり生き物をいじめたりすると「バチが当たるよ」と注意され、自分の全ての行動は目に見えない万能な神様に見られているような気がしていた。大人になるとその存在を単純に信じることはなくなったものの、たとえ些細でもキセル乗車など心に「やましさ」を覚えることをすると、誰かに見られているような後で報いを受けるような気がした。

 現代は法律によって社会のルールが守られる仕組みが出来上がっている。ルール逸脱者には公権力が処罰を科すことにより市民の安全、公正な社会を保障するシステムだ。しかし、法に触れなければ何をしてもいいのかというと必ずしもそうではない。
 法律の外に広い道徳の世界がある。弱者を食い物にしたり、年寄の無知につけ込んだりすることは「けしからん」行為である。「あんなことをしているときっといい死に方はしないよ」と囁いたりするが、バチが当たってほしい、当たるべきというのが庶民の思いであろう。
 昔は死ぬと閻魔様の前で生前の善行悪行を裁かれ悪い人間は地獄に落とされると信じられていた。今でも様々な地獄絵を見ると本当に恐ろしい。それが自分の「やましい」行為を慎み、他人の「けしからん」行為に対する怒り、恨みを慰めていたのであろう。
 バチという因果応報はあった方が生きやすいし、あるのを信じられた方が心の平安を保つことが出来そうだ。

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