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「800字文学館」

糸瓜顛末記

首藤 静夫

 痰一斗糸瓜の水も間に合はず 子規
 糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな 同
 子規は7年間も結核と脊椎カリエスに苦しみ、それでも上の句のように死の直前まで作句を続けた。彼は庭に糸瓜を育てていた。結核はのどの奥に痰がつまる苦しい病気であるが、痰切りに効果があるという糸瓜水が欲しかったのだ。
 糸瓜を育てようと思い立った。これまでグリーンカーテンに朝顔を育てていたが、葉が茂る割に花芽が少なくなり嫌気がさしていた。俳句を学ぶ者として子規にあやかろう。
 苗を6株入手したので親しいご近所に2株お願いした。残る4株を大き目のプランター2つに定植、初めての糸瓜栽培が始まった。楽しみがふくらむ。若い実は食用になるらしい。どんな味だろうか。茎からとれる糸瓜水を何に使おうか。化粧水にしようか、いやいや小生も喉の病気で痰がつまるから子規の真似をしよう。
 葉は順調に育ち、2階から下ろしたネットの半分まできた。日除けには十分だ。ところが花芽がつかない。2株あげたお宅は早々と黄色い大きな花が咲いているのに……。気になる毎日となった。糸瓜など町内に見当たらないからアドバイスも貰えない。2株のお宅に聞くと、いつの間にか勝手に咲き出したという。気に入らない。そうこうするうち、蔓の先端が2階ベランダの手すりに到達、そこで2重3重のとぐろを巻き始めた。更に伸びた先端は網戸の編み目に食い入った。巨大ダコの足のようだ。ここでやっと花が咲き始めた。やれやれ。しかし、咲けども咲けども雄花ばかり。雌花がなければ実はつかない。
 2株のお宅から、摘んだ若い実のお裾分けがあった。炒め物にして恐るおそる口に運ぶ。初めての味だ。ふーん、小生の筆力では表現できない混じった味だ。おまけに繊維カスが口中に残る。生きてきた記念の味としておこう。最後の楽しみは茎を切って採る糸瓜水だ。
 ちなみに9月19日は子規忌(糸瓜忌)である。その日どういう句が浮かぶだろうか。

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