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「800字文学館」

文楽と福娘

塚田 實

 H社の関西支社にいたとき、何回か国立文楽劇場を訪れた。H社は文化活動支援の一環として文楽協会に寄付し、協会からはときどき招待券を頂いた。文楽は首と右手を操る主遣い、左遣い、足遣いの三人で人形が生きているように動かす。それまで文楽に馴染みはなかったが、初代吉田玉男や義太夫の竹本住大夫、三味線の鶴澤清治などの芸を観ているうちに、ついつい引き込まれてしまった。「菅原伝授手習鑑」や「義経千本桜」など丸一日の通し狂言も楽しんだ。

 あるとき午前の部が終わった後、三代目を襲名したばかりの桐竹勘十郎が、自ら楽屋裏を案内してくれるという機会に恵まれた。氏は丁度50歳の男前。人形の一つ一つを丁寧に説明し、身振り手振りで操り方を教えてくれた。文楽の深みをちょっと覗いたような気がした。

 H社は、大阪ミナミ新世界の通天閣に広告を掲げている。P社の本拠地である大阪のシンボルでの広告は、いろんな経緯はあったようだが、H社にとって幸運だった。通天閣観光の社長や部長と新世界の一杯飲み屋でよく飲んだ。年末の飲み会で社長がボソッと言った。「来年の節分の豆まきお願いします。メンバーは桐竹勘十郎さんとお人形さん、支社長と今宮戎神社の福娘と私です。二人の福娘のうち一人は、あの近鉄バッファローズ梨田監督のお嬢さんです」

 2004年の節分は2月3日だったが、通天閣節分福豆まきは2月2日に行われた。私も裃を着て臨んだ。勘十郎さんに先のおもてなしに対し、親しく御礼の挨拶をした。ビリケンさんを拝み、屋外展望台でミナミの空に恰好だけ豆をまく。室内ではメディア対応でカメラに向かって一斉に豆をまく。カメラは、全体像を撮っているのもあったが、だいたい梨田嬢を向いている。確かにハンサムな親父似の美人だ。着物の上に千早を羽織り、金の烏帽子を被って初々しい。
 夕刊に豆まきの全体写真が載っていたが、福娘のにこやかな笑顔が輝いて見えた。

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