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「800字文学館」

男らしさ女らしさ

大津 隆文

 ある時友人から「褒め言葉として『男らしい男』に比べ『女らしい女』は余り聞かないのはなぜだろうか」と議論を吹きかけられた。振り返ると子供の頃は、「男の子は泣くんじゃない」とか「弱い者いじめはするな」などと言われた。一方、女の子は優しく控え目なのがよいとされていた。その前提には、男は社会に出て一角の人物になり、女は家庭にあって良妻賢母たるべし、という役割分担があったように思う。
 しかし時は移り、最近は男、女というより人としてのあり方との視点が重視されている。同時に、男女の性差は厳然としてあり、それを否定はできない。では、男女の性差はどこから生ずるのか、先天的なものか後天的なものか、性差による社会的な処遇の違いはどの範囲なら認められるか、あるいは、どの範囲で必要とされるのだろうか。

 男女の性差には、生物学的なセックスと社会的・文化的なジェンダーの二つの面がある。前者は生まれた時に99・98%の確率で、二者択一的に客観的に決定されているそうだが、後者は育つ環境の影響を受けて形成され、主観的な要素が入ってくる概念のようだ。
 ジェンダーとしての男女の差別は許されないが、生物学的な体力差等による区別は許されるし必要でもあろう。出産に伴う母性保護は当然であるし、スポーツの分野などでも男女別が広く認められている。体力を要する仕事については、必要とされる体力の客観的な基準を設け、これをクリアすれば男女を問うべきではなかろう。
 さらに、LGBT(性的少数者)という言葉もすっかり定着してきた。また、この範疇に入る人は限られた少数ではないようだ。ある民間機関の調査(全国の20~69歳の男女42万人余を対象)では、「自分はLGBTだ」と答えた割合は10%だったとのことで、現実はそんなに多いのかと驚いた。
 多様性が広く認められる世の中だけに、人として弱い者いじめはしないといった徳目はますます大切になっていくのではなかろうか。

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