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「800字文学館」

西瓜

池松 孝子

 熱い夏に出回る西瓜は、体温を下げてくれ、火照る心身を癒してくれる。原産地がアフリカ南部の乾燥地帯だと聞くとなるほどと納得する。季節の果物、野菜は私達の体にうまくできていて、それはありがたい。
 西瓜はあの大きさのため、最近の核家族では丸ごと一個買い求めることはないだろう。私の子供の頃は、近所の農家から頂く大きな西瓜が、ひと夏、座敷にごろごろしていた。バケツやたらいに水や氷を入れ、その中に西瓜を沈めると「ザッバー」と水がこぼれる。それが浮いてくると手で抑え込む。緑に黒の縞模様が水の中でくるくる回った。
 西瓜を切るときは、父の出番。大きな包丁で半分に、また半分に切っていく。その西瓜を食べるとき、嫌なのはあの種である。西瓜は一人で食べることはまずない。子供心にも種の始末は気になるものだった。種なし西瓜もあるが、やはり、西瓜には種がなくちゃ。
 八百屋のおじさんは、手の平や親指と人差し指を丸めてパンパンと叩き、食べごろを見計らってくれた。母は、叩いて甲高い音がするのは半熟だと言っていたが。

 また、西瓜はお盆のお供えにする習慣もある。
 ある年の夏の宵、近所に住む友人から「西瓜は好き?私、嫌いなの。食べてくれる?」と電話があった。「大好きよ」と、遠慮なくいただくことにした。
 しばらく待つと、大きな西瓜を抱えた友人が現れた。友人は、田舎から送られてきたものだとだけ告げ、それ以上は何も話さなかった。
 うかつにも、その年は彼女のご主人の新盆であったことは念頭になかった。うかつにも、気が付いたのは、夜も更けてからであった。

悲しみに大きすぎたる西瓜かな       大山達三郎

 あの時、なぜ、私の方から一言、慰めの言葉をかけることができなかったのか悔やまれてならなかった。暗い夜道に消えて行く友人を追いかけることもせず、黙ってじっと見送るだけだったのだ。
 翌日、お礼の言葉と一緒に、ご主人の新盆に気づかなかったことを詫びた。

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