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「800字文学館」

日本のつゆ麺

大森 海太

 わが国の麺類は、かけそばかけうどん、あるいは天ぷらそば(うどん)などの種物やラーメンのように、つゆに浸かったものをすすりこむ食べ方と(つゆ麺)、もりそばのようにつゆをつけて口にする食べ方に分かれる。このほか焼きそばやつけ麺の類もあるが、問題はこのつゆ麺である。もりそばの場合、もともとつゆが少ないし、残ったつゆにそば湯を入れて余韻を楽しむこともあるが、つゆ麺ではそうはいかない。ラーメン屋で食べ終わったあと、丼に残った大量のつゆを、残らず飲み干す人がどれだけいるのだろうか(血圧や高脂血症によくないから私は遠慮)。日本そばなら煮干しやカツオ節サバ節、ラーメンなら鶏ガラなどで出汁をとり、料理人が手間ひまかけて作ったつゆの半分以上は捨てられてしまっている。世界中でこんなにもったいない食べ方がほかにあるだろうか?

 麺類発祥の中国では(私の少ない経験によれば)焼きそばが主流で、湯麺にしても日本のような濃いつゆに浸かっているわけではない。麺は西洋にわたってマカロニやスパゲッティとなったが、これには各種ソースが絡められており、もちろん日本のような食べ方ではない。そもそも西洋料理はソースこそが料理人の腕の見せどころで、皿に残ったソースをパンで拭って食べることもマナーに反しない。

 麺類以外でも、しゃぶしゃぶとか寄せ鍋は手元に取り分けて食べるが、手に持った小鉢のつゆや薬味はあとに残る。また刺身や寿司を食べるとき、小皿に取った醤油を一滴のこさず使うだろうか? こんなことを考えていると、わが国で生産されている醤油は、そのままで、あるいはつゆやタレに姿を変えて食卓に供されるが、半分くらいは人々の口に入らず捨てられているのではないだろうか。世界は和食ブームで、従来西洋人の口に合わなかったとされる、干魚、醤油ベースの出汁が賞味されているそうだが、つゆは残すもの、半分捨てるものというところについては、どう受け取られているのだろうか?

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