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「800字文学館」

神武東征と「朱」の関係 ①

首藤 静夫

 東洋史学者松田寿男氏(故人)の、日本古代史と「朱」の関係をまとめた著作集が面白かった。要点をいくつか紹介する。

  • 朱とは水銀朱である。丹とも言われた。水銀朱を精製分離すると水銀と朱に分かれる。水銀は医薬として古代中国で珍重され、朱は顔料として墳墓や土器、柱、人面に塗られた。
  • 水銀朱は貴重な国際商品であり、伊都国を窓口にして大陸と取引していた。
  • 水銀朱の鉱床はほぼ解明されている。最大の鉱床は三重、奈良の山中にある。鉱床は主に四国、九州に伸びており、中央構造線上にある。
  • 全国に「丹生」という地名や「丹生神社」があるが朱に関係する。これらを追跡すれば古代史の一端が見える。

 水銀朱の鉱床跡をなぞって驚いた。
 (これは神武の東征ルートじゃないのか)
 出発地の南九州、大分の宇佐、広島の埃宮、岡山の高嶋宮……記紀が描く神武滞在地の近くには必ず水銀朱鉱床がある。
 記紀によると、神武一行は生駒山で強敵に阻まれた。それで紀伊半島を大回りして熊野から山道に入った。山中で有毒ガスにより全員が瀕死の重傷を負う。それでも諦めず、苦闘の末ヤマトにたどり着いた――。
 このあたりが気になっていた。人跡絶えた山奥に九州から長駆遠征したのは何故か。学者は応えていない。
 記紀には、神武が熊野のあと八咫烏の先導で奥奈良の川上村、天川村を経て奈良中央の宇陀から桜井へ入ったとある。鉱床図で見るとすべて朱の跡地だ。
 おそらく、神武一行は鉱山師集団だったのだろう。一山を掘り尽くすと移動し、そこで先入者や先住民とのバトル。この一連の動きを神武という人間に表象したのだろう。
 畿内に入った神武の前に三本足の八咫烏や金鵄、また井戸からは尻尾のある光る者(井光)や土蜘蛛など奇怪なものが現れる。だが、採鉱の場では自明のことだ。三本足は命綱をつけた鉱夫、光るものは縦坑の中の鉱夫と鉱物、土蜘蛛は横坑を這いずる鉱夫だ。
 神武東征は現実の出来事だったのか。

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