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「800字文学館」

「赤の広場の百貨店」

吉田 眞人

 生涯二回モスクワを訪問した。

 一回目は1984年。ソ連邦崩壊迄あと5年だが、そんな事になる気配は全く窺えず。モスクワ空港は薄暗く、入国審査官は若く、ほぼ丸刈り。盗人かスパイかと青い眼で人を睨める。在ロンドンソ連邦大使館発行の査証(ビザ)のみを入念にチェック。日本国のパスポートには手も触れない、そんな物信用できるか、ということだろう。
 赤の広場のレニン廟を訪問。唯物論の国なので、物理的に遺体を残すのか、と妙に納得。広場の反対側に3階建ての建物があり、百貨店となっているようで中に入る。ショーケースの中も背後の棚もほぼがらんどう。辛うじてぽつんぽつんと商品のハンドバックが置いてある。店員は手持ち無沙汰で、且つ不機嫌そうに立っている。併し、客用の通路は、レニンへのお参りを終えたお上りさんで大賑わい。ウォッカの飲み過ぎなのか男性は少なく、殆どが女性。大地に確りと根ざしていると思えるぽっちゃりした小母さん達で、傍にいるだけで安心感を覚える。彼女たちは、数少ない、従って貴重な商品を、熱い眼差しで見て、見るだけで満足の微笑を浮かべている。多分、田舎にはあのような商品さえ置いてないのだろう。
 建物の外にジュースの自動販売機があった。勿論使い捨ての容器等というものはない。傍の籠にある分厚い硝子のコップに注ぎ、使用後は水で濯いで元に戻す。それなりの長さの行列で、皆さん大人しく並んでいる。
 尚、査証(ビザ)は出国時に没収、従ってソ連邦訪問の記録は手元には全く残らない。

 二回目は2004年。ソ連邦崩壊後15年。レニン廟は健在だが、対面の建物は様変わり。エルメス、グッチ等の店が並ぶファッションビルとなっていた。ショーウインドウには商品が溢れ、その前を最新モードに身を固めたヤングレディが、携帯電話で話しながら、店には一瞥もくれずに、颯爽と歩いて行った。
 ロシア連邦の査証(ビザ)は日本国のパスポートに貼付けされており、入出国のスタンプと共に確認出来る。

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