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「800字文学館」

渋谷109と恋文横丁

川口 ひろ子

 日経新聞によれば、ファッションビル渋谷109は令和元年より従来の「ギャルの聖地」から「体験型アミューズメントの場」へ方向転換したという。早速様子を見に出かけたが、まだ目立った変化はなく多勢の女性が買い物を楽しんでいた。

 敗戦から15年、昭和30年代半ばのことだ。この辺りは恋文横丁と呼ばれ狭い場所に小さな飲食店がひしめいていた。ここで知人がスナックを開店、渋谷で学んでいた私はランチタイムによく通った。薄暗い飲み屋風の店で仲間と交わす食後の会話は、急に大人になったような気分で得意になっていた。
 近くに日本女性の手紙を帰国したアメリカ兵に英訳する代書屋があった。丹羽文雄がここをモデルに小説『恋文』を書き映画化もされて全国的に有名になった店だ。好奇心旺盛な私は早速観察だ。ガラス障子の向こうに立つ長身細身の中年男性の姿を、別世界を見る様な憧れの目で眺めていた。

 それから20年後の昭和55年(1980)大規模な区画整理が行われ、恋文横丁の後地に渋谷109が誕生した。当初は紳士、婦人服から呉服、食堂まで揃ったミニ百貨店風の構成であった。8階には立派な構えの和食店があり仕事仲間との忘年会や新年会などに度々利用させてもらった。
 後に平成の世(1989)を迎え、109はこの百貨店風を捨て十代の女の子向けのファッションビルに変身、これが大当たりして最盛期を迎える。海外メディアは世界で最もホットな場所と報道し「聖地に行け!」とばかり威勢の良いギャルたちが押し寄せた。

 そして令和の現在、売り上げは最盛期の10分の1の落ち込んだという。ネット通販の台頭など世の急激な変化について行けなかったのだろう。
 現存のテナントは順次入れ替えカフェやスイーツの店等を誘致「感動と夢の交差するエンターテイメント空間」を創るという。

 どの様な姿に変わるのであろうか?
 オープンの折は、カフェの片隅に身を沈め、過ぎた60余年の出来事の諸々を懐かしみつつ静かに過ごしたい。

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